アメリカで注目されている日本人的経営
オバマ氏は大統領就任後、金融機関の高額すぎる年俸に対し苦情を呈している。破綻金融機関のトップが数100億円の年俸を取っていたのだから、それは「庶民感覚」(日本的な言い方だが)からすればおかしい。それどころか破格の退職金まで手にして辞めている。その退職金を辞退、あるいは返還し、社員の給与に回すべきではないか。それが経営責任を取るということだろう。
こんな論調がアメリカで広がり始めた。
我々日本人からすれば当たり前の感覚だが、それをなくしていたアメリカ経済界がおかしい。といっても、そうした現象が顕著になったのはこの10〜20年の間ぐらいのことだが。
まあ、日本人もあまり人のことは言えない。ベンチャーブームの頃、産官界から「日本の経営者の給料は少なすぎる」という声をよく耳にした。要はアメリカ並みとまではいかなくても、もっと高給にすべきだ。そうすれば起業しようという者も増えるというようなことが一部で真面目に言われていたのだから驚きだ。
そのアメリカでいま持てはやされている日本人がいる。
経営再建中の日本航空(JAL)の西松遙社長だ。
昨年11月、CNNが取材・放送し、それをワールドサテライトなどでも放送していたから見た人は多いと思うが、見逃した人のために内容を簡単に紹介すると、
1.社長の年俸をパイロット以下の960万円に下げた。
2.社長室を廃止し、役員は大部屋に。
3.電車通勤にし、昼食は社員食堂で皆と同じように並んで、食べている。
こうした西松社長のやり方はよほど奇妙というか特異に見えたのだろう。「世界でトップ10に入る航空会社のCEOの生活としては奇妙なのでは」とCNNの記者が驚き、質問していた。
そう尋ねられて、西本氏は「そんなおかしいですかね? I don't think so strange だと思うんですけど」と答えている。
CNNの記者が驚くのも無理がない。最近、「強欲資本主義」と揶揄されているアメリカのみならず日本国内でも西本社長の行動は異彩を放っている。氏のように「痛みは分け合わなければ」という経営者はこの国のトップにはもう存在しないのだから。
「改革には痛みが伴う」と国民と地方に痛みを押し付けた国のトップを筆頭に、経営責任を取るというポーズを見せつつ、その実、自分の退職金はしっかり取って辞めている金融界のトップ、万単位の首切りをする一方で自社製品の購買を社員に働きかける製造業のトップ等々、数え上げれば切りがない。
彼らの中の誰か1人でも専用車を廃して電車かバス通勤に替え、社員食堂で社員と一緒に昼食をしているトップがいるだろうか。
大量リストラの前に自らの給与を、雀の涙程度の数パーセントのカットではなく、部長級(あるいは平取締役級)にまで下げたトップがいるだろうか。
自分を安全圏に置きながら社員に自社商品購買を呼びかけても誰も応じないだろう。愛社精神は会社が愛される存在である時に初めて生まれるもので、会社が安心して働ける存在でなければ誰も自社製品を買おうなどとは思わないだろう。
とはいえ、JALの西本社長の例は特異ではない。かつての日本社会では散見できた。だが、いまでは日本社会の中でさえ特異な現象になりつつある。
倫理なき拝金主義、市場万能主義が廃れ
資本主義と倫理・哲学の関係が問われる
ビッグスリー(聴聞会)の例は決して対岸の火事ではない。いま「強欲資本主義」と揶揄されたアメリカは急激に舵を切りつつある。国際社会の論調もアメリカ的な「強欲資本主義」と決別し、時代の修正作用が大きく働き出しているように見える。
そのことは先頃、ダボス会議の会長、クラウス・シュワブ氏が朝日新聞への寄稿で次のように述べていることからも分かる。
「再生の中核には『信用』と『信頼』が不可欠ということだ。私達は自分達の価値観と『倫理』を誠実に深く見つめ直すことなしには、有効な手は打てないことに気付いた」
「経済界は報酬と統治のシステムを深く見直し、・・・過剰な拝金主義について考えなければならない。統治や規制のシステムと同様に、『倫理規定』にも新しい現実を反映させなければならない」(『』は引用者が付けたもの)
世界は大きく変わろうとしている。その中で一人日本だけがまだ変化の外にいるように見える。
いままでの「金儲け」「利益優先」という言葉を、再度、「信用」「信頼」に置き換える必要がある。
報酬と統治のシステムの見直しに、これらの古くて新しい言葉とともに「倫理」「哲学」を加えなければならない。
「見えざる神の手」は存在しない。
「市場万能の資本主義」は破綻した。まだ、その亡霊にしがみつき、未だ反省しないTのような経済学者もいるにはいるが。
時代は後戻りではなく、アウフヘーベン(止揚)を求めている。そのためには経済を、社会を、「哲学」「倫理」という鏡に映して見ることが今後、必要になるだろう。
(完)
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