メーカーの視点だけでは売れない
岡山県で地酒を呑んだ(正確に言えば「買った」)時のことだ。
昔ながらの酒屋の棚に並んでいる銘柄を見ながら、ある銘柄に惹かれた。その銘柄を仮に「献上酒」としておこう。
銘柄名からしていわれがありそうだったので、「誰かに献上したからこの名前を付けたと思われるが、誰に献上したのか」と尋ねたところ、「銘柄名というだけです」と言う返事が酒屋から返ってきた。
もちろん銘柄名なのは間違いないだろうが、わざわざ「献上酒」と付けているのだから、なんらかのいわれはあるだろう。
少なくとも酒販専門店の酒屋としては「昔○○様に差し上げたところ、ことのほか美味だとお慶びになり、今後は『献上酒』と命名するがよかろうというお言葉を頂き、以来、△蔵を代表する銘柄として広く愛飲されています」ぐらいの説明はあるだろうと期待していただけに、ちょっとガッカリした。
やむなく化粧箱をひっくり返し眺めてみたが、どこにも「献上酒」のいわれ書きはなく二重にガッカリした。
まず専門店の勉強不足に。
次にメーカーの姿勢に。
どの業界でも商品知識が乏しい店はまず繁盛しない。
プロ意識に欠けるだけでなく、専門店が専門分野の勉強をしなければ専門店ではない。いうなら素人店だ。
素人店なら安く販売している店に客が流れるのは自然の理である。
メーカーも造って終わりではないはず。
どんなにいいモノを作っても売れなければ意味がないし、売れる仕掛けを販売店と一緒に行うべきである。
そうした姿勢が「献上酒」メーカーには見えないように感じられた。
販売店指導にまで手が回らないなら、せめて化粧箱の裏辺りを利用してでも多少の説明をすべきではないだろうか。そうするともっと売れるはずなのに、と他人事ながら残念な気がした。
もし、老舗酒造としての歴史に胡座をかき、消費者に商品を訴えることを疎かにしているとすれば、やがては消費者から存在そのものも忘れられかねない。
呑み方の提案で、消費者を惹き付ける
次は同じく岡山の地酒メーカーだが、全く対称的な例に遭った。
イオンの酒類売り場(というよりインショップか)に揃えられた数多い日本酒の中で思わず手が伸びたのは「喜平の純米酒」。
手が伸びた理由はビンの首にかけられたラベルに惹かれたからである。
そこには「冷やして飲む。喜平の夏」と大書されていた。
まず、これに惹かれた。
氷を入れた器にビンを突っ込んで冷やしている光景が思わず目に浮かんだ。
「そうだ、今夜は日本酒を冷やして呑むか」
もうすっかりその気にさせられている。
ラベルの反対側には「夏は日本酒をさらに美味しく」とあった。
「夏の暑い日、暑気払いには、冷えたお酒が一番!」
「スッキリした味で楽しむなら 涼冷え(すずびえ) 15℃前後 冷蔵庫から出して30分程度経過した状態」
「日本酒は冷やす温度によって味わいが変わりますので、その変化をお楽しみ下さい。また、ガラスや陶器の酒器によっても飲み口が変わりますので試されてみてはいかがでしょうか」
と続く。
実にうまい! 呑む前にすでにコピーで酔わせている。
このコピーを読めば、ガラスの器で呑んでみようとか、陶器のぐい呑みで呑もうと、帰った後のシーンをつい想像してしまう。
よく見ると、このラベルは私が手にした純米酒だけでなく「喜平」の酒すべてに付けられているではないか。
普通、日本酒がよく売れる時期は冬で、どちらかといえば夏はビールなどほかの酒類がよく売れ、日本酒は熱燗のイメージがあり、夏場はあまり売れない。
それをこのメーカーは消費者に夏の呑み方を提案しているのである。
「見せ方」の好例といえる。
こうした一工夫、一手間をかけるかどうかで売り上げは大きく変わる。
なかなか気が利いたメーカーだなと思い調べると、このメーカーは卸業務が中心のようだった。
逆にいえば、メーカーと販売店を繋ぐ卸業務を中心に行っているから、消費者に訴える「見せ方」の工夫ができたといえるかもしれない。
どんなにうまい酒でも消費者に呑んでもらわなければ売れない。
蔵の歴史や大きさで売れる時代ではないし、酒類の数は増え続けている。
ましてや若者のアルコール離れがいわれている時代である。
棚に並んだ数ある商品の中で最初に手にとってもらえるかどうかは非常に大きい。
なのに、メーカーの視点だけで商品を作っていてもいいのか。
販売店、消費者の視点を入れ、販売店が売りやすい工夫、消費者が買いやすい工夫をするのかどうか。
一ついえるのは、努力しないところに限って、「時間がない」などの言い訳が多いということだ。
それでいいのか。それとも一工夫、一手間をかけるか。
どちらを選ぶかは自由だが・・・。
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