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大志を抱くのは二流の人間


 先日、大森奨氏の「愛と感謝を知って経営再建」出版記念パーティーがあった。 大森さんは福岡というより九州の店舗設計関係の人間で知らない人はいないという(株)オオモリ建装(後に社名を(株)オオモリ、(株)オオモリ総建に変更)の社長だった。
 平成7年に同社を辞めた後も(株)組織力開発研究所を設立し、様々な形で企業経営に関わっておられるが、御歳82歳。

 私が初めて大森氏にお会いしたのは(株)組織力開発研究所を設立された頃で、福岡金網工業の山本健重社長の紹介だった。
 山本社長は分け隔てなく誰とでもお付き合いされる方で、以前からあちこちのセミナー会場などでよくお見かけしていたが、懇意にお付き合いさせていただくようになったのは7年前からである。
 建設金網分野という公共工事依存型の業界にありながら、常に先を読んだ経営で、現在まで無借金経営を続けている素晴らしい経営者だ。
 その山本社長からある時、「今日は素晴らしい方とご一緒に食事をしますので、ご一緒にどうですか」とお誘いを受け、同席させてもらったのが大森さんとの出会いだった。

 その氏が今回出版されたのが冒頭に記した「愛と感謝を知って経営再建」。著書の表紙には「手作り自分史」とある。
 通常、執筆は著者本人がするが、本のレイアウト、装丁といったものは出版社がすると相場が決まっている。ところが執筆はもちろんのこと、写真の挿入・配置、ページのレイアウトまですべてご自分でされたと聞いてビックリ。
 本文だけで257ページ(前書き、目次を入れた総ページ数は270)あり、それを書かれただけでも感服したのに、ワードを使って1ページずつレイアウトしたというのだから本当に驚いた。

 もちろんプロの手でレイアウトすればもっと見栄えのいいものになっただろう。でも、失礼を承知で言わせていただけば82歳である。まず、パソコンに文章を直接入力して書かれただけでも感心したのに、レイアウトまでご自分でされたのだから、そのエネルギーには脱帽である。息子のような歳の私でさえ、そこまではとてもできないと思った。
「あとであれも追加したい、これも書きたいとなるものだから、ついかするとレイアウトが狂い、写真の配置を換えなければならず、そういうことが大変でした」
 私ならとっくに投げ出しているだろう。まさに「手作り自分史」である。

 それにしても、なぜ著書のタイトルが「愛と感謝を知って経営再建」なのか。
「愛と感謝を知ったお陰で二度の経営危機を再建出来た。どんな時代が来ようと繁栄の秘訣と思っている。
 そこで私の八十一年間の、昭和と平成の、時代の先端を走ってきた一経営者としての目を通して、その時代がどのような時代であったか、成功と失敗と喜びと苦難と幾度とない修羅場を通った未熟だった私の経験を話し、昭和の戦争と平和と、変化と盛衰の時代を書き残すことが出来れば幸せである」(「はじめに」より)
 自分史というより、さながら昭和・平成史、それも博多の昭和・平成史を読むような楽しさがある。

 ところで、大森さんが講演の中で面白いことを言われていた。
 「『少年よ、大志を抱け』という言葉があり、昔から『大志を抱く』ことがいいことのように言われているが、私はこの言葉が嫌いだ。大志を抱くのは二流の人がすることで、毎日毎日一生懸命にやっていれば結果は付いてくるものだ。私は毎日そのようにやってきた」
 と。
 これにはビックリした。
 「大志を抱けという言葉は嫌い」と聞いた時、ああ、大志を抱けというのは、大志も抱いていないような人間を激励する言葉で、自分は常に大志を抱いて仕事をしてきたから、ことさら大志を抱けなどと言われるのは嫌いだ、ということなのだろうと思いながら聞いていたからだ。
 そうではなかった。毎日、一生懸命やることこそが大事で、ことさら大志を抱かないとできないような人間は二流なのだ、と。

 ガツンと一発食らったような気になった。
坂口安吾の小説「二流の人」を読んだ時に受けた衝撃と同じだった。
「二流の人」の主人公は黒田如水である。
その如水を評して安吾は「二流」と言ったのである。
 この小説を読んだ時、軽い目まいを覚えた。
如水ですら二流といわれるのである。
それまでは、「まあ、俺なんかは二流の人間だから」という思いはあった。恐らくこうした思いは誰しも抱いていたのではないだろうか。
ところが二流になるのさえ大変なんだ、と思い知らされたのである。

 そして今回、図らずも大森さんから、お前らは二流にもなれないといわれた。
「なにおっ」と発憤すれば、まだ見込みはあるのだが、少なくとも安吾の「二流の人」を読んだ時は20ー30代だったから発憤したが、いつの間にか刺激を受けるのはその瞬間だけ、という風になり、会場を出た後はお決まりのコースで、山本社長と2人で雨の中を夜の街に繰り出し、リラックスしてしまった。
「少年老いやすく、・・・成り難し」
日付が替わる頃、アルコールで痺れた頭に自嘲の言葉が浮かんだが、ほんの一瞬で消えた・・・。


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