つい数日前、ダン・ブラウン著「天使と悪魔」を読んだ。
実に面白い。作品としての面白さは「ダヴィンチ・コード」より上だろう。
ところで、「天使と悪魔」を読みながらあることに気付いた。
ダン・ブラウン作品の読みやすさだ。
内容はキリスト教、ヴァチカンの秘密に関することで、どうかすると難解な小説になりがちだが、そうはならず、とても読みやすく、かといってレベルを下げることなく、上手に仕上げている。
著者の文章力なのだろうが、それ以上に拍手を送りたいのは越前敏弥氏の翻訳である。
翻訳物によくありがちな外国語独特の妙な言い回しがなく、日本語としてとてもこなれている。そのことが作品の理解力を助けているのは間違いない。
「ダヴィンチ・コード」より、日本語版2作目の「天使と悪魔」の方が翻訳の仕上がりはよりいいように感じられたが、原文を読んでいないので原作の出来との比較はできないが。(日本での出版とは逆で、ダン・ブラウンは「天使と悪魔」の方を先に書いている)
このように読みやすく、分かりやすい文章は内容の理解を大いに助けてくれる。
ところが、我々の周囲には見た目も悪く、読みにくくて分かりにくい文書があまりにも多い。
そうなった責任の一端は我が国の国語教育にあるのだが、そのことは別にして、この10年程の間に文章を書く機会が飛躍的に増えたことにもよる。
電子メールにブログ、パワーポイント等を使ったプレゼン資料の作成等々、毎日なにかしらの文章を書いているはずだ。
なかには毎日欠かさずブログを書いている、メールを配信しているという人もいるだろう。
だが、基本やルールを知らずにいくら練習しても上手にならないのと同じで、汚い文章はいくら書いてもきれいにはならない。むしろ書けば書くほど汚くなる。
それでもブログや個人的メールならまだいい。
しかし、企業のパンフレットや対外文書、プレゼン資料となると話は変わってくる。
誤字・脱字だらけの文字、つたない文章、おかしな言い回し、意味がよく分からない文章は商品の売れ行きに影響する。
内容がきちんと伝わらない文書は二度と顧みられることはない。
これではせっかくのPRもPRにならない。
だが、同じ内容でも見やすく、分かりやすい表現、体裁に替えるだけで、相手の目に止めることができる。
この差は大きいだろう。
「書くのは苦手です」
こういう人は結構多い。
だが、恥じる必要はない。
日本人だから日本語が書ける、というのは大いなる勘違いだからだ。
どこぞの国の首相を例に取るまでもなく、日本語の読み書きが満足にできない人は案外多い。
小学校から英語教育云々を言う前に国語教育のやり方を見直して欲しいものだ、と感じているのは私一人ではないだろう。
「どうすれば上手になりますか。小説を読むことですか」
こう聞かれた私の返事はこうだ。
「小説はあまり読んでも役に立ちませんよ。彼らはきれいな文章を書いているわけではありませんから。中には有名な作家でも悪文ともいえるひどい文章を書いている人もいますから。読むなら美文家と言われている人の文章でしょうね」
こう答えると皆ビックリしたような顔をするが、文章の下手な小説家は一杯いるし、彼らの書いたものをいくら読んでも文章が上達しはしない。
では、どうすればいいんだ、と思うに違いない。
要は分かりやすい文章を書くことなのだ。
そのためには日本語の文法を知らなければならない。
なにか話がどんどん難しくなりそうだ、と感じているかもしれないが、取り敢えず簡単なことを3つ覚えればいい。
それで明日から分かりやすい文章を書くことができる。
1.1つのセンテンスで、いいたいことを1つだけいう。
2.修飾語と被修飾語の関係を分かりやすくする。
修飾語が複数ある場合は順序に気を付ける。
3.句読点の使い方を覚える。
句読点とはテンとマルのことだが、特に読点(テン)の使い方。
やたらテンを打つ人、テンを一切使わず1文字分空けた文章を書く人(比較的若い女性に多い)、マルを使わずテンだけで文章を書く人・・・。
いずれも見苦しい。
ここで各項目について書いていると長くなりすぎるので、詳細は「栗野塾」の講義でしたい。
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