「待たされる」と「待つ」の違い
場所は岡山県勝田郡。この地に開業して20年。「手打ち」を売り物にしているが、いまではどこでも比較的よく見かける看板で、それを目当てに客が入っているわけでもなさそうだ。実際、20-30メートルの距離に「手打ち」を看板にしたうどん屋があるが、そちらは客があまり入っていない。
「今日はお連れさんはいらっしゃらないんですね」
カウンター席の向こうから店主が声を掛けてきた。前回、この店に来たのは半月以上前。その時も同じようにカウンター席に座ったが、その時のことをよく覚えているものだと感心する。その時は弟と2人で、「よく流行ってますね」などと、こちらから話し掛けたりしていたので多少記憶に残る客だったのかもしれないが。
時間は昼1時頃。稼ぎ時の時間帯とはいえ、いつ来ても客が多く、待たされる。待たされるのは嫌いな性分なので、待つようなら他の店に行こうと思うが、この店は客を待たせない。いや、待たなければいけないのだが、「待たされている」という感じがないのだ。
「待つ」のと「待たされる」のは同じようで違う。「待たされる」のは他から強制される行為であり、「待つ」のは主体的な行為だ。同じ時間でも「待たされる」のは長く、「待つ」のは短く感じる。「待たされる」と客は不快に感じ、「待つ」のは楽しみ(行列店に何時間でも平気で待つ人達はそう感じている)か、少なくとも不愉快な感情は持たない。
客を待たせるのではなく、いかに待ってもらうかは店の売り上げを大きく左右する重要な要素でもある。にもかかわらず、このことに無頓着な店が多いのはなぜか。
待ち時間は店と客双方にとってロスタイムであり、売り上げを生まない時間であり、チャンスロスの時間だ。故に、このロスタイムをいかに短くするかが売り上げ効率に影響する。ロスタイムが短ければ短いほど双方ともに喜ぶのだ。
満席なら待たなければならないが、明らかに空席があるのに待たす店がある。そういう店に限って待ち時間をはっきり告げない。待ち時間は客の食事時間によるから正確には分からない。それでもおおよその時間は経験から分かるものだ。それを順番待ちの客にどう伝えるかで受け止め方は変わる。のんびりとした喋り方で、他人事のように話せば、客は「待たされる」という感覚になる。私なら即他の店に行く。
感心するのはここの従業員。動きがテキパキとしているだけでなく、店内を小走りに移動する。わずか4、5mの距離なのに。当然、他の動作も速い。だからロスタイムはほとんどない。これで儲からない方がおかしい。
店内はテーブル席と座敷がほぼ半々。それにカウンターが5,6席加わり、収容人数は40人前後。メニューは単品うどんもあるが、ほとんどがセットメニューで、客も天丼セット、カツ丼セット、○○セットといったセットメニューをほとんどの人が頼む。その分客単価は単品メニューより上がる。
フロア担当は2人。土日祝日などの忙しい時で3人か。オープンキッチン方式の厨房は店主夫婦にもう1人の3人。3人の分業体制ができていて、製麺を含め、うどんに関することは店主の担当。ご飯類は女性2人が担当している。
厨房の動きもキビキビしていてムダがない。だからチャンスロスはない。しかし、それだけでは入ってきた客を捌いているだけで、だからこの店が流行っている理由にはならない。
厨房に回す伝票に秘密あり
一体、どこに流行る秘密があるのか。今ひとつ納得できる答えを見つけられなかったので、少し質問をしてみた。
「昼、夜、どちらのウェイトが高いですか」
「そりゃあ昼です。この辺は田舎でしょう。夜7時半過ぎたらバッタリ人通りが途絶えますから」
なるほど、これなら昼が勝負だ。
「客単価は1000円ちょっと超えますか」
「いや、そんなにはいきませんよ。800円を切ることはないですが、800円台後半ですよ」
丼物とうどんのセットメニューが980円で、1100円を超えるセットメニューもあるから、もしかすると客単価は1000円前後かと思ったが、昼食中心なので少し低かった。それでも、田舎にしてみれば単価はかなり高い方だろう。
客単価はいくらか、2時から4時ぐらいまでは一度客が途切れるのではないか、平日と週末・祝日の差はなどと色々尋ねるものだから、店主から「ご同業の方ですか」と言われてしまった。それでも訝ることはなく、色々答えてくれたが。
「うちなんか特別味がいいわけでもないと思います。それでもこの辺りでは、儲かっているという程ではありませんが、そこそこ売り上げはいい方だと思います」
店主のこだわりが一つある。「絶対に私が店を休まない」ことだと言う。年寄り客が多く、そういう客は店主の顔を見て安心して帰る。厨房の方を向いて店主と目が合い、ひと言声をかけるまで帰らない馴染み客が結構いるとのこと。いまとなっては「2店目も出さない」理由もそこにありそうだが、基本は商売に向き合う姿勢が違うということだ。
商売の鉄則は経営者が店に出る、ということ。店休日でもない日に「付き合い」と称して経営者がゴルフに行ったり、店を休んでほかのことをしていれば、従業員は気が緩み、それが味や接客の低下になり、ひいては顧客離れを引き起こす。
一度店を離れた客はなかなか帰ってこない。人口の絶対数が少ない地方では、それが売り上げに直結する。だから都市部以上に気が抜けない。
飲食等の日銭商売で失敗するのはほとんどが勘違いと驕りである。「儲かっている」という勘違い、「自分が毎日いなくても客は入る」という驕り、「自分は天才だ」という思い上がり。
毎日、日銭が入るから勘違いするのも無理はない。収支決算は早くて月末だ。つい目の前の現金に騙されてしまう。
驕りは油断と同じで、儲かっている時に出る。欲に駆られて、あるいは人に煽てられて2店目、3店目を出店したり、客に味を押し付けるような態度に出たりする。
その点、このうどん屋の経営者は慎重だった。
「2店目を出そうと思えば出せたんです。オープン当初から働いている女性がいますから、その女性にここを任せて私が新しい店を見れば」
だが、そうしなかった。店主に欲がなかったのかもしれない。
ともあれ、流行る店がリピーターに支えられているのはいずこも同じだ。所詮メニューは限られている。メニューと味にプラスする何か、「また、あの店に行きたい」と客に思わせる何かがなければ難しい。
「お陰さんで、おじいちゃん、おばあちゃんがお孫さんなどを連れて来てくれるんです」
「お陰さん」って何。誰のお陰、何のお陰?
それは店主と従業員の心配り、心遣いではないか。
開店時からいる女性従業員がフロアを担当しており、この女性が客の好みをよく知っており、「ネギは入れないように」とか「○○の量は少なめ」などと伝票に書き込んで厨房に回すらしい。なるほど、これなら客は離れない。
それにしても目の付け所がちょっと違う鉄工所、馴染み客とのコミュニケーションを絶やさず、欲張らず、地道にやるうどん屋など、地方だからこそ流行る会社、店のやり方があるものだと実感した。
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