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クリーンルーム内で稼働する
非接触搬送装置の開発で
大いに注目を集める第一施設工業


第一施設工業(株)  代表取締役 篠原 統
福岡市東区松島3−25−25 / tel 092-622-0306

 ベンチャー企業とは高い技術力を持ち、新たな分野や市場に果敢に挑戦する、創業間もない企業を指していうが、こうしたスピリッツ(精神)を持っているのはなにもIT関連企業や創業間もない若い企業だけではない。いわゆる中小企業の中にもチャレンジ精神旺盛な企業は数多く存在するし、むしろ九州では、中小企業の中にこそベンチャースピリッツを持った企業が存在しているといえるかもしれない。第一施設工業梶i福岡市東区松島3-25-25、篠原統社長、資本金6,250万円、電話092-622-0306)はその代表的な企業だろう。

横のものを縦に、逆転の発想で開発

 「非接触はやめとけ。あれはダメだ」。東北大学未来科学技術共同研究センターの大見忠弘教授は第一施設工業の篠原社長から相談を受けた時、即座にこう言った。  東北大の大見教授といえば日本の、いや世界の半導体業界でも知らぬ人がいないくらいの有名人。かつて東北大学のスーパークリーンルーム建設委員長を務めたことがあるし、大学教授でありながら700件を超える特許を出願している。今をときめくインテルが大見研究室に研究者を派遣し、教えを請うたのは有名な話だ。そのため日本経済新聞は大見教授のことを「インテルを立ち直らせた男」という呼称を付けて呼んだほどである。最近では、シリコンウエハーを大気に曝さず処理し、使用済み薬品とプロセスガスを回収・再利用する「段階投資型小型製造ライン」の実用化に漕ぎ着けるなど、常に半導体産業の明日のために研究活動を行っている。  その大見教授が「自分も非接触はやってみたがダメだ。あれは使い物にならない」と言ったのだ。普通ならそう言われた段階で諦めるだろう。ところが篠原は違った。逆にファイトを燃やしたのだった。

 現在、クリーンルーム内での搬送は一般的にウエハーや液晶ガラス基板をローラーコンベヤーの上に水平に置くやり方。ところが、この方法だと液晶ガラス基板が大型化すればするほどコンベヤーの幅も広くしなければならない。その上、ガラス基板を支える支持点も増やさなければならないから、それだけ汚れが付着する箇所が増える。支持点を少なくすればガラス基板の自重たゆみができ、洗浄液が残るし、割れやすくもなる。  そこで考えられたのが、対象物を空中に浮かせて移動させる非接触という方法だ。エアーの力で対象物を浮かせるのだが、常に水平を保つことが非常に難しいのだ。わずかでもバランスが崩れれば落ちて割れる。だから、非接触はやめとけ、と大見教授は言ったのだ。  しかし、篠原の考えは違っていた。水平に浮かすのは難しいかもしれないが、立てたものを倒れないようにすればいいのではないか、と考えたのだ。対象物を縦に立て、約15度傾けたまま運ぶのだ。それ以上倒れないように、支持部分からエアーを吹き出して押し上げる。傾斜角度は最大20度までOKだという。

特許流通施策の活用で開発

 「なんということはない。コロンブスの卵ですよ」  篠原自身こう言うように、あとで聞けばまさに逆転の発想。横のものを縦にしただけだが、これがなかなか考え付かない。業界の素人だからできた発想かもしれない。大見教授も後日工場を見に来て「こういう方法があったのか。これは気付かなかった」と篠原の発想に感心していたようだ。  もちろん一足飛びにこの結論まで来たわけではない。最初のヒントは「非接触」で、対象物を浮上させて搬送する技術そのものは西部技研(福岡県古賀市)が所有する特許だが、利用されないまま眠っていた。それを、国の特許流通施策を活用して開発したのだ。同社は今年4月、非接触搬送装置の開発で、特許庁長官表彰(工業所有権制度活用優良企業表彰)を受賞している。  

次の課題はセラミックスだった。対象物と支持部分の間にきれいな空気膜をつくるにはセラミックスの多孔質という機能が使えるということまでは分かったが、問題はセラミックス内部から吹き出される微細なゴミである。このゴミが全く出ないセラミックスをいかに開発するか。この点では長崎県波佐見町の窯業試験場に協力を依頼した。このように今回の非接触搬送装置の開発は国の施策、地場企業の協力がなければ実現しなかったかもしれない。そういう意味でも画期的な技術開発だった。

ユーザーの声が開発のヒント

 いまでこそ第一施設工業といえばクリーンルーム内の搬送機で有名だが、当初からクリーンルーム向けの搬送機を開発していたわけではない。1967年の設立以来20年余りはエレベーターの据え付け保守工事の下請けをしていた。「徹夜して作成した見積書を持っていくと、中身をよく見もせず赤鉛筆でバッと消されて金額を修正された。いくらなんでもそれはないだろう」(篠原社長)。激しい憤りを感じ、その屈辱をバネとして必死にメーカーへの脱皮を図ったのだった。

 最初のチャレンジは、それまでエレベーターで培ってきた技術を生かして日本最速のリフトづくりを行ったことだ。当時、リフトの標準速度は毎分25mだった。それを毎分280mと10倍以上のリフトを製作したのだ。これが九州松下電器に認められ、同社だけで約10億円の受注仕事になったという。  実は、日本最速リフトの開発ヒントはユーザーの声だった。「製造ラインのリフトのスピードがもっと速ければ生産量が倍増するのだが」。九州松下電器の製造現場で担当者が漏らした言葉がヒントだったのだ。相手が求めているものを開発すれば売れる。この一見自明の論理に気付いたのだ。

 2度目のチャンスは90年に幕張メッセで開催された東京国際物流展の会場でやって来た。高速で移動するハイリフターを見ていたソニーの社員が「クリーンルーム内で動かせるリフトをつくれないか」と尋ねたのだった。それまでリフトはゴミを撒き散らすためクリーンルーム内では一切使われてなかった。そのため1回1回外に出して、エレベーターで上げ、さらにクリーンシャワーを浴びてという煩わしい二重三重手間の工程が採られていた。もし、クリーンルーム内で作動するクリーンなリフトがあれば生産性が格段に上がるというわけだ。またもや現場の声である。

 再びチャレンジが始まった。今度はミクロン単位のゴミとの戦いだった。全く新しい分野への挑戦でもある。やがて開発したのが0.1ミクロン単位のゴミも撒き散らさないクリーンなリフト。ネーミングも「クリフター」とした。1号機はソニーの厚木工場に採用された。それが評判になり、各社でも採用され始めた。92年には本社敷地内にクリーンルームを建設し、97年には福岡県新宮町に開発研究所を建設。名実共に研究開発型企業としての歩みを続けている。

 現在、同社の事業内容はクリフターを含めた垂直搬送装置関連事業が約40%、DI式スペースネット構造鉄骨工法などの建築・設備関連事業が約20%、ゴンドラやボートリフトなどの特殊機器関連が約10%、エレベーターの保守メンテナンス事業が約20%という構成になっている。売上高は昨年が約16億円、今年23億円、来年は30億円を見越している。非接触搬送装置の市場が立ち上がれば急伸しそうだが、売上高50億円になれば「上場する予定」。今後が楽しみな企業の一つである。

                                         (文責:栗野 良)


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