C・ディオール表参道店の外壁
奈良・平城宮朱雀門の復元も
「東京中探したが作れるところがなくて」
突然かかってきた電話でいきなりそう言われた。
聞けばあちこち聞き回って、やっとたどり着いたという。
「クリスチャン・ディオールの表参道店(2003年12月オープン)を建設するんですが、その外壁を作って欲しい」
相手は事情説明もそこそこに、そう切り出した。
「一度そちらへお邪魔したい」
随分急いでいるような口振りである。
「なにも宮崎くんだりまで来なくても、東京なら作るところはいくらでもあるだろうに、ご苦労さんなことだ」
池田誠宏はそう思いながらも「こんな田舎でよければどうぞお出でください」と答えていた。
受話器を置くと「どんな仕事をしているのか不安だから、見に来たいのだってさ。来たらきっと驚くぞ」と狭い事務所を見回して笑った。
(株)日南家具工芸社の所在地は宮崎県日南市。宮崎市よりさらに南である。
宮崎空港を降りて海岸沿いに1時間半ほど車で走れば、かつてマグロ漁で栄えた港、日南市油津港が見えてくる。そこからほど近く、少し山手に入り込んだ山と畑に囲まれた中に同社がある。池田が「驚くぞ」と笑ったのは、あまりのローカルさにでもあった。
数日後、やってきた担当者は事務所の前で立ち止まった。入ろうかどうしようかと迷っている風に見えた。彼の目に映ったのはそこら中のこぎり粉だらけの小さな木工所だった。
「宮崎くんだりまで来たのは失敗だった」
男の顔に後悔の色が読み取れた。
「これは早く退散するに限る。時間のロスだ」
応接室もない小さな事務所で、粉まみれの小さな机を挟んで池田と向かい合った男はスーツが白く汚れるのを気にしながら口を開いた。
「実は蒲田で作らせたがうまくいかなかったんです。本当に御社にできますか」
男の口振りに高飛車な響きがあった。
「その程度のものなら問題なくできますよ」
黙って話を聞いていた池田が、そんなこと当たり前ではないか、と言わんばかりに返事をした。
相手の顔に不快感が宿った。気付かぬ振りをして、池田は言葉を継いだ。
「ボーイングジェット機の内装もしていますし、新国立劇場内のオペラハウスの舞台天井の音響反射板もうちがしました。最近では奈良県平城宮朱雀門の復元や群馬県立博物館のらせん階段の手すりも皆うちの仕事です。
どれもこれもうちは営業なんかしたことはありませんよ。皆先方から名指しで依頼が来るんです」
池田の自信たっぷりな言い方に、相手は複雑な表情を浮かべた。
「これを見てもらいましょうか」
そう言って池田が机の上に並べたのは小さな木片だった。よく見ると、その木片は緩やかにカーブを描きながら、なおかつ少し捻れていた。
「らせん階段の手すりの部分です。2次元加工まではするところもありますが、捻れを入れる3次元加工ができるところはうちしかないでしょう」
帰る頃には相手の顔にすっかり明るさが戻っていた。
それでも以後4回も日南市まで足を運んできたところをみると、やはり出来上がるまで不安だったに違いない。
新しいもの、難しいものに
チャレンジするのが大好き
日南家具工芸社が得意とするのは局面に捻りを入れた3次元加工である。複雑なデザインのものを短時間で作り上げることから、いまでこそ建築関係者の間で注目される存在になっているが、池田はもともと機械畑出身で木工とは関係ない。
明治大学大学院機械工学の修士課程を修了後、同大工学部助手を務めたが、「やはり性に合わない」と10年目に退職。前々から「大学卒業後5年で独立しようと考えていた」こともあり、自動機器設計開発のミヨシ技研を設立する。
仕事は助手時代から時々頼まれて「図面書き」をしたり、ちょっとした機械を作ったりしていたので、いわばその延長線上に会社を作ったようなもの。仕事にはそう困らなかった。
当時から「すでにあるものを作るのは嫌い、ないものを作るのが好き」という性格で、新しいもの、難しいものにチャレンジするのが大好きだった。
食品関係会社が使う自動海苔巻き機やラベル張り機も業界で初めて作ったし、当時、池田が作った、不二家のパラソルチョコのパラソル巻き機はいまでも稼働している。
(文中敬称略)
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