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ボーイング機にも採用された精密加工技術(2)
脱タンスを図り、技術力を武器に高付加価値製品を作る。


(株)日南家具工芸社
宮崎県日南市大字隈谷甲1410−2
tel 0987-27-1711

叔父の急死で帰省し
木工会社を継ぐことに


 一方、故郷の日南市では家具製造業を経営している叔父の茂三郎が、出始めたばかりのNC(数値制御)加工機を買い、同業他社との差別化を図ろうとしていた。
 当時のNC加工機は数値制御といっても現在のようにコンピューターで簡単にプログラムできるものではなく、電卓を使って三角関数を計算し、その数値を入力するという面倒な代物だった。
 それ故、3,000万円という当時としては恐ろしく高価な代物だったにもかかわらず、ほとんどのところが使いこなせず、最初の数回使っただけで、以後は工場の片隅でホコリまみれになっていた。
残ったのは設備投資負担のみ。
「NCを買うと倒産する」
当時、そんな噂が流れたほどだ。

 福岡県の家具産地・大川でもNC加工機を導入しているところは数社しかないというほど高価な機械を、茂三郎が思い切って導入したのは、大川との差別化を図りたかったからだ。
なにより身内に機械に強い人間がいることが心強かった。いざとなれば甥の誠宏に操作を教えてもらえばいい。そんな計算も働いていたようだ。
「誠宏に、帰省して自分の跡を継いで欲しい」
 常々そう考え、また周囲にもそのように吹聴していたので、誠宏を帰省させるための材料だったかも分からない。

 茂三郎の思惑通りに、池田は週に一度、後には月に一度、機械操作を教えるためにせっせと日南に帰った。かといって池田には叔父の跡を継いで木工所を経営する意志はまったくなかった。「当時、7〜8万円の金が常に財布に入っていた」というほどミヨシ技研は稼いでいたし、なにより木工加工より機械開発の方が好きだったからだ。

 ところが、茂三郎の急死で状況が一変した。
「誠宏、お前に会いに行く途中で茂三郎は交通事故に遭ったのだから、会社を継いでやれ」
 親戚中から半ば押し付けられるように経営を引き受けさせられた。
実父のように可愛がってもらった叔父の会社である。
しかも、「行く行くは誠宏に継がせたい」と周囲に漏らしていたことも考えると、無碍に断るわけにもいかなかった。
帰省して叔父の家具製作会社を引き継ぐことにした。

いずれ箱物は落ちると
脱タンスを目指す


 社長に就任して分かったのは、会社の財産はNC加工機と借金だけということだった。
 これは大変だ。このままでは会社が潰れる。
 池田は仕事内容を全面的に見直した。
 いずれ箱ものは落ちてくるだろう。
そのためには「大川」にないもの、「大川」がしないものを作らなければならない。
でなければ、「大川」との価格競争に巻き込まれ、最後には体力勝負で負けてしまう。
 では、どうすればいいのか。

 池田はまず自分と会社の持てる「財産」を点検してみた。
 自分の得意は本来、機械設計だ。
いままでも新しい機械を作ったり、改良して使いやすくするのは大好きだし得意だった。
考えてみれば、自分がいましていることは材料が金属から木に変わっただけで、やっていることは同じことではないか。
タンスを作ろうと思うから「大川」をライバルと思うわけで、視点を変えて「大川」をマーケットと考えたらどうだろう。
 池田はそう考えた。

 幸い他社では無用の長物で、高価な機械がホコリをかぶったままになっているが、自分には「魔法の手」となるNC加工機があるではないか。これをフルに活用すれば「大川」にない特殊加工ができる。メーカーと共同開発した、3次元加工まで可能なNC加工機。
 早速、池田は「タンスに飾りをつける加飾材」を作り、大川や都城の家具製造会社に納品し始めた。
都城(みやこのじょう)も九州では大川に並ぶ家具産地であり、この両産地に加飾材という技術を提供することを通じ、以後、特殊加工技術を確立していったのである。

資材を購入する金がなく
先方から送ってもらう


 次に付加価値の高いものを作ろうと決めた。
といっても高付加価値製品自身は日南家具工芸社ならずともどこでも目指していることだ。
そこで、池田が考えたのは「航空便で送ってもペイできるほど付加価値の高いものを作る」ことだった。
これなら競争に勝てるはずである。

 たしかに航空便を利用すれば納期は短縮できる。
しかし、逆に輸送費は上がる。
そのアップした輸送費を誰が負担するのか。
池田は大胆にも先方に負担してもらおうと考えたのだった。

 といっても、そんな虫のいい話がそう簡単に通用するはずもない。
「武士は食わねど高楊枝に似た状態」が続いた。
そのため、せっかく受注しても資材を買う金もなかった。やむなく先方から材料を送ってもらったことも一度や二度ならずあった。

 幸いだったのは、そうした仕事の場合、先方が材料指定をしてくることが多かったことだ。
「宮崎ではその材料を入手することが困難なので、そちらから送ってもらえないだろうか」
 買う金がないとは言えないので、そんな苦し紛れの言い訳をしていたが、まんざら嘘ではなかった。宮崎のような地方都市で指定される材料を揃えるのは時間も金もかかった。それよりは先方で購入して送ってもらった方がはるかにコストも効率もいいのは事実だった。

 ボーイング機の内装関係もそんな発注先の一つだった。
 材料はすべて先方指定のものを送ってくるし、加工品にはどんな小さな材料にも一枚一枚ラベルを貼らなければならない。
小さな部品に至るまで製造履歴が分かるようなシステムが導入されているのだ。
しかも年に一度は必ず検査があり、規定通りのやり方で規定通りに製造されているかどうかのチェックもある。それほど厳しい検査にもいつもなんなく同社はパスしている。

 意外に知られてないが、ボーイング機の内装の70〜80%は日本国内で作られている。
その80%を日南家具工芸社が作っているのだ。いかに同社の技術と信用が高いかが分かる。                                (文中敬称略)
                                             (続く)



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