鉄からIC、自動車へと九州の産業構造は確実に変化しつつある。とはいえ、まだ産業基盤は脆弱である。その一方で着実に力を蓄えつつある九州のテクノロジー。本シリーズでは「九州テク・テク物語」と題して、九州のテクノロジーを紹介していきたい。初回の本稿では、九州のテクノロジー全般を取り巻く状況を見ていくことにする。
自力でなかった九州経済の浮揚
九州のテクノロジーに未来はあるか?ーー本稿のタイトルである。別に奇を衒って付けたタイトルでも、九州のテクノロジーに幻滅しているわけでもない。強いて言えば、テクノロジーの将来に対する懸念である。こう書くと「何を懸念することがあるか、当社の技術を見に来い」と各方面からお叱りを受けそうだが、そういうお叱りはどんどん頂きたい。大歓迎である。許す限り取材させて頂こうと思う。 さて、それはそれとして、九州のテクノロジーの未来である。92年版「九州経済白書」は「九州経済は第三浮揚期に入った」と「九州新時代」の到来を高らかに謳い上げた。その根拠として「景気に対する腰の強さ」と「設備投資の伸び」「新しいリーディング産業の登場」等を挙げている。 ちょっと待てよ、と言いたい。そんな楽観的な分析に浮かれていていいのだろうか。 「白書」では自動車産業、ソフトウェア、リゾート産業が新しいリーディング産業だというが、ソフトウェアを含む情報サービス業の売上高における対全国シェアはわずか3%台である。しかも同業者からの受注が21%(平成3年)と、全国平均の16.7%に比べても高く(情報処理振興事業協会「九州ブロック地域産業情報高度化調査」より)、九州のソフトウェア産業の下請け的存在が明らかになっている。 では、自動車産業を含む活発な企業立地はどうか。これも九州の安い労働力と土地を求めてやってきただけで、積極的な意味で九州を選択したわけではない。つまり九州のテクノロジーに魅力を感じて進出してきたわけではなく、たまたま他の地域より九州の方が労働力を確保しやすいとか、土地の取得が容易だという理由で九州を選んだに過ぎない。ということは、それら諸条件を満たす地域が他にあればいつでもそちらに移る可能性があるわけで、その懸念は今回の円高ですでに現実のものとなりつつある。ここに九州のテクノロジーの不幸がある。 それでも結果として、地場の技術力がアップすればいいのだが、現時点で自動車関連産業と取り引きできている地場企業は安川電気や佐賀鉄工等数えるほどしかない。
なぜ高度化しない九州のテクノロジー
では、それほど九州のテクノロジーはレベルが低いのかと言えばそうでもない。 たしかに全般的には決して高いとは言えないが、それでもキラリと光るテクノロジーもある。そしてその技術を求めて、大手企業が進出してきた例もある。平成2年11月に長崎県諌早中核工業団地に立地したエーエヌエーエアロテック鰍ネどはその好例だろう。長崎エンジニアリング鰍ェ諌早中核工業団地に立地していたから隣接地に進出してきたのである。 さらに逆上れば、勝川ミカローム工業鰍フ優秀なメッキ技術があったから2社が進出してきたといえる。ただ残念ながら、こうした例は数少ない。 なぜ、九州のテクノロジーは高度化しないのか。これには様々な要因がある。地場と進出企業の関係で言えば、両者のコミュニケーション不足も一因であろう。これはなにも地場と進出企業の関係に限ったことではなく、地場企業同士、研究機関同士、あるいは各大学間でも、「隣は何をする人か知らん」的な交流不足が見受けられ、そのことが技術の発展を阻害している。 「なぜ、地場への技術移転が進まないのか」という質問に対して、九州NECの最高幹部はこんな話をしたことがある。「半導体技術は非常に高度だが、すべてが最先端のハイテク技術ばかりではない。ローテク部分の仕事も結構あり、そういう分野の仕事は出来るだけ地元に発注するようにしているが、九州の人は慎み深いのかなかなか売り込みに来ないし、一度来て断られると二度と来ない傾向がある」と。 同じような話は鹿児島のソニー国分でも聞いた。「最初は多少教えなければいけないにしても、十分可能性を持っている企業がある。ところがそんな企業は探さなければ分からない」と不満気だ。 現在、九州NECはテストボードを地場の伊藤電機に、ハンドラーを九州三和鉄軌に発注している。「あちこち探し回り見つけたら、地元にその技術を持った会社があった」とは、笑い話では済まされない。慎み深さは九州人の美徳!などではない。大いに技術は売りこむべし、である。
地場と進出企業の技術交流が必要
ところが自動車関連産業の相次ぐ進出で、最近はこうした事態を反省し、積極的に技術交流を進めようという気運も各県で生まれている。「行政は誘致件数ばかり言うが、地元から何も調達しないような企業は来ない方がまし」という地場企業の不満の声に対応したものだ。 例えば昨年、佐賀県は地場企業、進出企業双方の交流、取り引き拡大を目的に「企業交流シンポジウム」「講習会」を開催している。特に「講習会」では自動車関連産業や「かんばん方式」について学ぶと同時に、実際に名古屋地区や地元で工場視察も行っているが、工場視察は参加者にも好評だったようだ。 宮崎でも社団法人宮崎県工業倶楽部を中心に同じような動きがある。
国内と海外から挟撃される九州
とにかく技術力のアップは急務である。国内のみならず国際関係がもはや一刻の猶予も許さない。円高は生産拠点の海外移転を加速させるだろう。その結果、今沸きかえっている自動車関連産業も今後は九州を飛びこしてアセアン諸国に移転する可能性もある。九州における産業の空洞化が進む危険性は非常に高い。それを防ぎ得るのは高い技術力と固有の技術しかないからだ。 一方、アセアン諸国の九州追撃も加速している。もはやアセアン諸国は安い労働力の供給地ではなくなりつつある。近い将来、安い労働力など世界中どこにも存在しないという時代がやってくる。 東南アジア諸国にとって九州は兄貴的な存在である。技術的にも手が届く範囲内にいるという意味で。つまり日本の中で一番最初に追い付け追い越せの対象になる地域である。すでにアセアン諸国との間には技術格差が見受けられない分野も出てきている。中国の追い上げも凄まじい。 国内では中央との間に技術格差があり、アセアン諸国からは追い上げられている。国内と海外から挟撃されているのだ。これが九州の置かれている状況である。どうかするとアセアン諸国の方が先に産業構造の転換が進む可能性さえありそうだ。
夢を語れない技術にそっぽを向く若者
九州のテクノロジーの高度化を阻んでいる要因に、昨今の技術軽視の風潮を指摘する向きもある。昨年8月長崎で、研究・技術計画学会の第1回地域シンポジウムが開かれたが、席上、このことを問題にした発言があった。 「日本経済発展の原動力は技術と勤勉性。にもかかわらず技術の現場を3Kと嫌い、技術を軽視する。公害と公害撲滅に見られるように技術には二つの側面がある。ところが負の側面ばかりを強調し、正の側面を見ない。製造業の1.5倍もになる金融機関の給与。これらが優秀な若者の技術畑参入を阻害している」 と。 たしかに指摘されるような現象が起こっている。だが理工系の学生が金融業界に流れたのは、証券、金融業界が第3次オンライン化やディーリング部門強化で理工系の知識や発想を必要としたからであり、理工系学生が給与につられて金融系に流れたわけではない(一部にはそういう学生もいたが彼らの大半はその後理工系企業に転職した)。それが証拠に、数年後、理工系学生の就職先は再び理工系企業中心に戻っている。むしろ基本的な問題は日本の技術が、理工系企業が、夢を語れなくなったことである。 手塚治氏が「鉄腕アトム」を描いた頃、テクノロジーは夢と希望と豊かさの象徴だった。明るく、華やかで、輝く未来を約束するものだった。だが、今テクノロジーは夢でも、希望でも、豊かさでもなく、暗くて、汚くて、独創性もなく、異性にも持てない世界の象徴である。これでは学生は来ない。そして、こうした現実を作ったのは誰でもない、理工系企業自身にほかならないのだ。そのことを反省する必要があるだろう。 今生産の現場は、研究の現場はどうなっているのか。彼らは何時に帰宅しているのか。スーツは何着持っているか。異性の友達はいるのか、いないのか。こうしたことをちょっと考えるだけですぐ分かるに違いない。夢と希望がある職場か否か。金も時間も名誉もない、では「創造する喜び」すら生まれないだろう。そのことに中央大手企業はいち早く気付き手を打ちつつあるが、まだ名誉まではいかない。だが、九州の企業はこの点でも遅れている。
地場のバックアップに大学人の奮起を望む
九州のテクノロジーの高度化が思うように進まないのは産学官の協同研究が少ないのも一因ではないかと思われる。 たしかに長崎県工業技術センターのように産学官の交流、産官の協同研究を熱心に押し進めている組織もある(同センター研究員の特許出願者率は44%、博士号取得者率は22%と公設試の中では群を抜いている)。だが、これなどは例外中の例外で、全体的に見れば公設試は相変わらず公務員的性格から脱却していない。それでも少しずつ各県の公設試が成果を出しつつあるのは喜ばしいことだ。 次に、学≠ノ目を向けて見よう。一部、九工大や熊大工学部などに産学協同研究の動きが見られるものの、全般的にはまだまだ少ない。なぜだろうか。それは一つには九大に多く見られるように、産学協同は産業界の金儲けの材料、大学は研究をするところだという研究至上主義がはびこっているからだ。ところがそういう大学人に限って「研究費が少ないからろくな研究ができない」と、自分の研究成果のなさを研究費のせいにするのだから始末が悪い。 では、産学協同における大学の役割とは何か? 大学人はいかなる態度で研究に臨むべきか? 筆者のこの質問に対して、東北大学でマイクロエレクトロニクスの研究をされている大見忠弘教授の返答は次のようであった。少し長くなるが、非常に示唆に富んでいるので引用しておく。 「最もリスクの多い将来の可能性を切り開く研究を大学が担当し、そこを押し広げてたしかな技術に育て上げていくのを国公立、民間の研究所が、そして実用化し、事業化していくのを民間企業が担当するという関わり方が一番望ましいと思う。 なぜ、最もリスクの多い研究を大学が受け持つべきかというと、それは毎年新しい学生を受け入れ、白紙の学生にエレクトロニクスのことを教えていくわけだが教えられる期限は決まっている。一方、エレクトロニクスの学問技術体系はどんどん広まっている。するとカリキュラムを組む時にどの部分が学問の根幹かを考え、原理原則的なものの考え方を学生に教えざるをえない。 他方、我々は研究開発に没頭しているわけで、その時は最先端のことを考えているから原理原則に基づいた考え方が段々できなくなる。ところが学生への講義では原理原則に則ったものの考え方で話しをしなければいけない。つまり新しい学問、新しい技術を見通し、着想していくには原理原則的思考に基づいた将来に対する深い洞察力が不可欠である。研究開発での成功の確率は昔は千に三つと言われたが、今は十に一当てなければいけない」 ここまで考えている大学人が九州に何人いるだろうか。シリコンアイランドとシリコンロードの違いは、実はこんな所にもあるのだ。いずれにしろ九州のテクノロジーを取り巻く環境は厳しい。だが、厳しさにも負けず頑張っている企業があることも事実だ。次回からはそんな企業の具体例を紹介していく。
(94.3月 「エコノス」に掲載) |