佐賀は進取の気性に富んだ地であり、時代の黎明期には必ず重要な役回りを演じてきた。幕末時代には率先して西洋文明を取り入れるなど、我が国の科学・文明をリードする役割を果たしてきたが、その後眠りについて久しい。ところが、IT革命がいわれる現在、再び佐賀の先進性が全国で注目を集めている。県内全域をネットしたCATV網を利用して高速のインターネット網を構築したばかりか、日立製作所、NEC、富士通、松下電器産業などの大手企業と共同で次世代インターネットの各種実験にも取り組んでいる。それにしてもなぜ佐賀で、ITの先端的な実験が行われているのかーー。
CATV網を使った
高速通信インフラを無償提供
地域情報ハイウェイ構想を最初に唱え、取り組んだのは岡山県である。以後、似たような取り組みをしている県はいくつかあるが、いずれも県内主要都市間を光ケーブルで結ぶ程度にとどまっている。ネットワークの内容も行政機関や大学・医療機関同士を結び、行政サービスや医療サービス、教育支援に役立てようとしているが、民間企業に開放しているところはほとんどない。
78歳のベンチャー魂
ところが、佐賀の取り組みは当初から異なっていた。まず、他県が行政主導で実施しているのに対し、佐賀はネットコムさが推進協議会(以下、ネットコムさがと略)という民間組織主導でスタートしている。その旗振り役が佐賀銀行会長の田中稔である。
田中はネットコムさがの理事長である。七十八歳という年齢を聞けば、名前だけの理事長かと思われそうだが、むしろ逆で、ネットコムさがは田中の強力なリーダーシップとプロデュースの下に行われてきたといっても過言ではない。
元々、田中は年齢に似合わず(というと怒られそうだが)進取の気性とチャレンジ精神に富んでいる。佐賀銀行の関連会社に佐銀ベンチャーキャピタル(VC)があるが、これなども地域振興のためにはベンチャー企業の支援・育成が欠かせないという、田中の強い信念の下に設立された会社で、九州内の銀行系VCの中ではベンチャー企業への投資をよくしている方だと思う。
それでも田中に言わせれば「リスクテイクを取ろうとしない」と手厳しい。「上場直前の企業ではなく、立ち上がりから応援しろ」と叱責している。まだ田中が頭取の時代には「一回焦げ付きを作ってみろ。それこそ男の勲章と思うぞ」などとハッパをかけていたというから、とても石橋を叩いて渡るバンカーのイメージではない。
インフラ整備の妙案
佐賀のIT化が他県と異なるもう一つの点はCATV網を活用している点である。
CATVはインターネット時代になり、その高速回線が大きくクローズアップされてきたが、我が国の場合、難視聴地域の解消を目的にスタートした経緯があり、小規模で多地域に分散している。佐賀県は難視聴地域が多く、CATV会社が十六社も存在している。それだけに世帯カバー率は四三%(十二万世帯)と高いのが特徴だ。
田中はこの普及率=ネットワークに目を付け、各CATV会社をネットワーク化して利用することを考えた。すでに目の前にある高速通信インフラを利用すれば、新たに回線を敷設する手間と投資が省けると考えたのだった。
「幹線だけを行政でいくら高速化しても、足元が電話線では大した実験ができない。その点、我々のところはCATV網を利用するからラスト一マイルまで高速化されている」
と田中は胸を張る。
事実、そのことが後に大きなプラスになるのだが、その裏にはNTTからISDN回線を借りたり、新たに光ケーブルを敷設する資金がなかったということもあった。
というのも、高速通信インフラを整備し、それを企業に無償提供しようとしていたからである。
「最初から大仕掛けなことを考えていたわけではなく、県内の企業がインターネット時代に乗り遅れないようにしたい、つまり会社の経営効率化とかインターネットを使って新しい業務分野を開拓してもらう目的でインフラを整備したわけです」
ITを新時代の企業誘致にする
〜〜ラストワンマイルの高速化が魅力〜〜
一九九八年四月、ネットコムさががスタート。高速大容量のインターネット環境としてCATV網を企業に無償提供し、業務革新やニュービジネス創出のためのための実験を公募。参加したのは五十八法人・団体。プロジェクトは六十三を数えた。内訳は業務革新関係のプロジェクトが四十、ニュービジネス関係が二十三である。
「作るのは補助金があればできるけど、手を上げてくれるところがないと恥掻くなと思って随分PRをしましたよ。これからはインターネットも使い切らんと会社がダメになるぞと脅してみたり、うまく使えば飛躍できるぞとおだててみたり」
と当時を振り返り、田中は快活に笑う。
「六十三ものプロジェクトがスタートしたと聞くと、ほとんどの人は東京の大手がやっているプロジェクトだと思うに違いないが、逆で、すべて地元企業のプロジェクトです」
しかも公募によってである。それだけ佐賀の企業はインターネット技術の可能性に興味を持っていたといえるし、進取の気性に満ちていたといえる。
ただ、「成功と言えるのは約二割で、失敗が約一割。残り七割は今後アフタケアする必要があるプロジェクト」とのこと。
スタート段階からインフラ面で協力したCATV会社は兜雛Yテレビ(現社名潟Pーブルワン)、伊万里ケーブルテレビジョン梶A佐賀シティビジョン梶A生活協同組合唐津ケーブルテレビジョンの四社である。それにしても本来なら利害が競合するCATV会社がよくまとまって協力したものだと思うが、「突出して強い企業がなかったのが幸いした」ようだ。どこか一社でも突出して強ければ、他は吸収されるのではないかと警戒するからだ。
もう一つはネットコムの計画に協力すれば、県が光ケーブル導入費用の半額にあたる八億円を補助するなど、今後の投資コストが少なくて済むというCATV側のメリットもあったようだ。
今年度からは参加するCATV会社はさらに増える。また、県内どこからでもアクセスできるように佐賀新聞・長崎新聞のインターネットアクセスポイントからのダイヤルアップ接続も可能にしている。
全国大手企業から
共同研究の申し入れが
ネットコムさがの動きを聞き付けた東京の大手企業から共同研究の申し込みもあった。具体的には三菱電機情報ネットワーク鰍ェ電子決済システムの実証実験を、続いて教科書出版大手の東京書籍が教材データベースを開設するなどの動きが出てきた。
「これは新しい時代の企業誘致になる」と確信した田中は、それから歩く広報マンに徹し、使える限りの人脈を使い、積極的にIT大手と接触を図っていく。
「ただ、その時思ったのは、我々のインフラを使って東京の大手が研究するだけでは地元に何も残らない。だから、我々と一緒に共同研究をしませんかとお願いして回った」
その甲斐あって、日立製作所、NEC、富士通、松下電器産業、NTT、ソフトバンクeコマースなどが次々と共同研究の申し出をしてきた。
「こちらから大手企業に共同研究を一緒にやりませんかと働きかけると百発百中だった。それは日立にしろ、NECにしろ富士通にしろ、新しい家電の世界でどうやって自社のシェアを確保するかが、各社の大きな重要戦略の一つになっていると思う。ところが、我々のインフラはCATVだから、ラストワンマイルまで高速化されている。それが彼らにとっては魅力だったのだと思う。いろんな実験が家庭用を巻き込んでできるわけだから」
ギガビットネットワーク、
次世代インターネットの実験
同じ頃、当時の郵政省が日本列島をギガビットネットワークで接続する実験を開始しており、その接続ポイントに佐賀が決定し、佐賀大学にギガビット回線が引かれた。そして佐賀大学と慶応大学の間でギガビットネットワークと次世代インターネットと言われるIPv6を利用した遠隔講義の実験も開始される。
ただ、IPv6といっても「インターネットの技術に詳しい人はスゴイと感心してくれるが、一般の人は実験をしたということしか分からない」。なんとか分かりやすい方法はないかと考えていたところに、総務省が平成十二年度の補正予算でIPv6の実験を公募。それにNTTコミュニケーションズグループと共同で応募し、採用されている。
「この共同研究グループには大手企業が十数社入っているので、今後大手企業との共同研究が進んでいくと思う」
IPv6とはインターネットのプロトコル(通信規約)の一つで、現在はIPv4と呼ばれる32ビットのIPアドレス(インターネット上のコンピューターを識別するために用いられる)が使われているが、急速なインターネットの普及でアドレスが不足する恐れが出ている。
そこでアドレスを128ビットに増やしたのがIPv6。今後、情報家電や携帯端末が増えていくのに対応して様々なサービスの提供が予定されている。
田中は「素人考えですが」と断りながら、慶応大学の村井教授に、ネットコムさがのインフラを使ってIPv6対応の家電を各家庭に配って実験してもらうと分かりやすいと思うので、ぜひそうしていただけないか、とお願いしたことがある。
今後、アジアとの連携を強化し
佐賀モデルを全国に展開していく
ネットコムさがは当初三カ年の実験事業としてスタートしたが、当初から実験終了後の二〇〇一年四月以降に民営化することを前提にしていた。そのため今年度からCATVのインターネットも商用化をスタートさせ、低料金・高速回線の個人向けサービスを開始している。
ネットコムさがの今後について田中は次のように語る。
「佐賀はアジアに近いのでアジアとの連携を大きなテーマにしている。これにNTTが興味を示し、サービスインテグレーション基盤研究所とNTTデータ、ネットコムさがで佐賀独特のeマーケットプレイスを立ち上げようとしている。現在準備中で、十月からスタートさせる。佐賀で成功させ、それをモデルにして全国で何カ所か立ち上げ、ネットで結んで、シンガポール、香港、上海などアジアの各拠点と結ぼうという構想がある」
eマーケットプレイスとは電子商取引市場のこと。インターネットの普及でインターネット上で行われる取り引きが増えているが、売り手企業と買い手企業を取り持ち、その取り引きに関連する様々なサービスをインターネット上で提供するもの。このeマーケットプレイスをアジアとのビジネスに限定して立ち上げようというわけだ。
アジアのデジタルデバイド
解消のため研修生受け入れ
もう一つは、アジアのデジタルデバイド解消の場にネットコムさがを利用する計画がある。具体的にはJICAと協力してインドネシアの政府関係者を一カ月間受け入れ、IT研修をするというもので、平成十三年度から三カ年事業として行う。
「アジアのIT技術者が参加すれば彼らにとっていい実学の場になるのではないかと考え、それを外務省に売り込みに行った」
と田中は笑う。
同じようなことを文部科学省でも「売り込み」、ユネスコとも協力して、アジアのデジタルデバイド解消に向けた研修を行おうとしている。
また、学校と地域社会の相互交流を目指すインタラクティブ・エデュケーション(IE)協会も佐賀で全国で初めての実証実験を佐賀で始めることを決めている。
「九州はどこでもアジア、アジアと言っているが、言うだけではダメなんで、佐賀独特のプロジェクトを一つか二つ立ち上げなきゃいかん」
と田中は断言する。
このように次々に佐賀で最先端の実験を開始する全国大手企業が増えているが、いずれもギガビットネットワークやCATVという大容量の高速通信インフラが整備されていること、特に端末までの「ラストワンマイル」まで高速通信回線でネットされている魅力があればこそである。
ネットコムさがは今年度から商用化され、高速ネットワークの利用はより拡大される。今後はSOHOをなどベンチャー系の企業の利用も増えるに違いない。数年後には佐賀からITベンチャーが続出することも夢ではないだろう。