６月末、マイクロソフトの創業者であり会長のビル・ゲイツ氏が事実上「引退」した。
事実上と書いたのは会長の肩書きはまだそのままだからだ。
とはいえ非常勤になるから経営の１線を退いたのは間違いない。
それにしてもまだ52歳である。
世界の経営トップを見ても、むしろこれからといえる年齢だろう。
それをいともあっさりと捨てて「引退」したのだから、「なぜ」と思うが、朝日新聞のインタビューに彼は次のように答えている。
「僕は50代のいつかに、すべてのテクノロジーの方向性を決めていく仕事はあきらめるべきだと思っていたんだ。他の人がその仕事をすべき時がきたということだよ。だから、時期について特別な意味はない」（08年6月21日付朝日新聞）

　19歳の時にマイクロソフトを設立し、引退を考えたのは49歳。
「３年後に引退する」と、ＣＥＯのスティーブ・バルマー氏に打ち明けたが対外的発表を１年待つように止められ、その１年後の06年６月、突然開いた記者会見で２年後に引退すると発表した。
　52歳での引退を許した周囲と、それを実行したビル・ゲイツ氏の潔さに感心したが、これが日本だったらどうだろう。
まず引責辞任でもない限り、この若さでの引退はないだろう。いわんや創業者である。
「まだ引退するにはほど遠い年齢です。会社もまだこれからですし、ぜひ今後も経営の第１線で指導をしてください」と引き留められるだろうし、本人もそう言われることを期待して、取り敢えず２年後に引退というアドバルーンを上げただけで、本当に辞める気など更々なく、その時になったら引退の「い」の字も口にしないという例を数多く目にしている。

　ところで日本には、なぜ「ビル・ゲイツ」が出ないのだろうか。
ベンチャーブームの頃、ゲイツ氏を見習い、彼を目指して多くの若者が起業した。
ＩＴ関連企業は特にそうだ。ＩＴブームに乗って急成長したベンチャーもあったが、そのほとんどはいま見る影もない。
　ソフトバンクの孫氏がいるではないかといわれそうだが、彼は恐らく「ビル・ゲイツ」のようにはなれないだろう。
そのことには後で触れる。

　例えばこの国では、この10年近く企業家育成のために国が様々な支援策を行ってきた。１円資本金制度まで作り、起業しやすくしたり、学生起業家の育成、インキュベーションの設置、エンジェル税制など思い付くありとあらゆることをして起業の後押し、育成を試みたが、いまだ思ったような結果は上がっていない。
果てはベンチャー起業家の表彰制度まで作った。
熟練技能者の表彰制度と同じ発想で、優れたベンチャー起業家を表彰すれば（さすがに、なんとかマイスターとまでは名付けなかったが）後に続く人間が増えるに違いないというバカらしいことを考えたのだ。
　そんなことで○○を見習えと後に続く人間が続出するとは思えなかったが、効果はゼロではなかった。

　とにかく国も研究機関も「金儲けこそ善」という思想を撒き散らしたものだから（いまの中国のように）、「金を儲けることは悪いことですか」という拝金主義の輩が次々に出てきたのだ。
村上ファンドの村上某、ライブドアの堀江某、グッドウィルの折口某などがその代表格である。
結果はどうか。
　彼らは「金を儲けることが悪い」のではなく、儲け方、その方法が問題だと指摘されていたのだが、そのことが理解できなかったようだ。

　資本主義社会はどんな手段、どんなやり方をしても儲けることが許されるわけではない。そういう輩をマックス・ヴェーバーは「精神のない専門人、心情のない享楽人」と批判したが、マックス・ヴェーバーを引っ張り出すまでもなく、金儲けのための金儲けしか頭にない彼らはシェイクスピアの「ベニスの商人」すら読んだこともなかったのだろう。
　読書といえば実用書ばかりで、哲学書、文学書など読んだこともない輩が最近増殖しているが、そんな彼らでも欧州委員会(ＥＣ)がマイクロソフトを独占禁止法違反で訴えたことは知っているだろう。

　要は「金儲けこそ善」という思想は真っ当な経営者を輩出しないし、起業家そのものも増えはしないということだ。
それはそうだろう。持ち上げ、褒めそやした相手が次から次に塀の中に落ちるか、落ちはしないまでも市場から消えていくのだから、これなら「右にならえ」といわれても、「ちょっと待てよ、自分達が目指そうとしている人達は本当に立派な人なのか」と思うに違いない。
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　（続く）