車なしでの田舎暮らしに挑戦してみた。(1)


 「田舎では車は生活の”足”」「田舎は車がなければ暮らしていけない」−−。地方で生活している多くの人がそう言うし、私自身もそう考えたり、そう書いてきた。
 しかし、本当にそうかと、最近思いだした。もちろん「田舎」といっても程度に差があり、「ぽつんと一軒家」のような山奥の家もあれば、集落もまばらだったり、鉄道やバスが通ってはいても1、2時間に1本という所もあり、それらを同列には論じられないが、以下は私の出身地でのことである。

 私が生まれ育った地は過去にも何度か触れているように岡山県とは言っても鳥取県と兵庫県の県境にある小さな田舎町である。
 鉄道は通っているが駅は無人で、列車は1時間か2時間に1本走っているだけだ。路線バスもなくなり、代わりにコミュニティーバスが走っているが運行時刻表がないので、いつ乗れるのか、どうすれば乗れるのかよく分からない。

 これでは車なしでは生活できない、と思うのが当然で、無理をしてでも福岡から車で帰っていた。しかし7時間を1人で運転して走ることに少しずつ疲れを感じ出してきた。できれば列車で帰りたい。だが、車がなければ帰った後、極端な話、買い物にも行けない。ずっと、そう思っていた。
 ただ年々歳を取り、体力、気力、集中力が衰えていく。そこにもってきて最近、やれ逆走だ、ブレーキとアクセルの踏み間違いだという事故が増えている。高速道路の事故もこの5、6年で激増している。
 そういう状況を考えれば、長距離運転はそろそろ止めた方がいいかと思い出したが、問題は田舎に滞在中の「足」をどうするかという点でいつも堂々巡りをする。

 気乗りがしなかったり、弱気になった時はやめた方がいい。災いが向こうから近付いて来る−−。もう20年くらい前になるだろうか、米通信社の特派員としてベトナムに行き、最前列でフィルムを回し続けた経験を持つ映像ジャーナリストと知り合った。その彼(私より10歳以上年上だったと思う)が次のようなことを言っていたのが今でも印象に残っている。
 「同じような仲間が銃弾に当たりバタバタと倒れていく。自分のすぐ横に居たカメラマンも被弾し亡くなったが、その頃は弾が自分を避けていた。だから自分には当たらないという確信みたいなものがあった。それが2度、3度とベトナムに派遣される内に少しずつ銃弾が自分に近づいてきているのが分かった。このまま居ると間違いなく死ぬと思ったから、帰国して辞めた」
 彼が言いたかったのは、人間は極限状態に置かれると感覚が研ぎ澄まされてき、動物的な勘が蘇る。その勘のお陰で自分は生き残れた、ということだが、弱気になったり不安感を覚えた時は予知能力が衰えるから安全策を取った方がいいと私は受け取っている。

 とまあ、そんなことも考え、今回は列車で帰省し、車なしで生活できるかどうか試してみることにした。
 新幹線は「おとなび」でチケットを買った。列車は「こだま」限定だが、半額近い料金で乗れる。「おとなび」は人気なので1か月近く前に予約しなければチケットが取れないようで、行きはダメだったが帰りのチケットは取れた。
 車だと7時間ひたすら運転するだけだが、列車だと居眠りをしても安心だし、何より本を読めるのがいい。最近は家で本を開くことがほとんどなく、乗り物に乗っている時か、病院等の待ち時間と決まっているので、久し振りにまとまって読書の時間を取れたのがなによりよかった。おかげで読みかけの「鉄の首枷 小西行長伝」(遠藤周作)を読み終えることができた。

 田舎に滞在中はいつものようにカメラを積んであちこちに花の撮影に出かけるという動きはできない。それらは大抵、鉄道の駅やバス停からは離れた、車でしか行けないような場所にあるからだが、兵庫県佐用町のひまわり畑はJR播磨徳久(とくさ)駅からシャトルバスが運行(期間中の土日祝日)されていることを今回初めて知ったので、それを利用すれば車なしでも行けることが分かった。あいにく今回は雨続きでチャレンジはできそうにないが。
 因みに佐用町のひまわり畑は今年で30回目。期間中に10万人が訪れているそうで、まさに継続は力なりだ。
                                 (2)に続く



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