栗野的視点(No.765) 2022年4月25日
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社会を変える3つの狂気
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今回は社会を変える3つの「狂気」について見ていきたい。1つ目は革命家に共通する社会変革の狂気。2つ目は独裁者の狂気。3つ目は狂気ならぬ狂喜。
社会変革の狂気
まず1つ目。今この国で、この狂気を持っている政治家は「れいわ新選組」の代表、山本太郎だろう。
彼は先頃衆議院議員を辞職した。夏の参院選に立候補するためだという。この選択には誰もが驚いたのではないか。議員バッチを失い、やっと先の衆議院選挙で再び議員に帰り咲いたばかりというのに、その職を投げ捨て参議院選に出馬するというのだから「正気の沙汰とは思えない」だろう。
まず衆議員と参議員では重みが違う。それなのに衆議員を辞職し、参議院選に出るというのだから「普通」の感覚ではない。「普通の感覚」を持ち合わせていないからできることで、党首でありながらずっと参議院選にしか、それも比例でしか出ないどこぞの党首とは大違いだ。
親から地盤、看板、カバンの3バンを受け継いで議員になっている2世、3世議員にもこれくらいの気概があれば日本の政治は変わるのだろうが、議員を家業と捉えたり、就職先と考えているサラリーマン議員、タレント議員には期待すべくもないか。
それにしても奇策である。こんな手があったか、と正直驚くとともに、変革にかけるこの男の狂気を感じた。
先の衆議院選では比例で当選しているから彼が辞職しても同党の比例順位2位の候補者が繰り上げ当選になり、党の議席は変わらない。そして今夏の参議院選で議席数を増やすことを狙っている。普通に考えれば比例で出るのが当選者増に最も貢献しそうだが、自民党議員を落としに行くと言っているから、さてどうなるか。
山本太郎の熱量に比べると冷めかかったコーヒーのように味も香りもないのが他の野党だ。もう少し本気で政権を取りに行くことを考えたらどうだと思うが、言うのは口先だけで、野党候補の一本化さえままならない。
大体、俺が俺がで、自党候補最優先で相手側に候補を下ろして我が党候補を応援してくれでは統一戦線はもちろんのこと手を組むことさえ難しいだろう。
本気で政権を取りに行くなら正規戦でばかり挑むのではなく、今までそれで負けているのだから、彼我の戦力分析を客観的、科学的に行い、ゲリラ戦で挑むべきだと思うが、旧民主党系の野党には熱量も知恵も工夫もない。
いつの時代も社会を変えるのは「狂気」であり、「狂気」は辺境で育まれる。それは企業でも同じで、「狂気」がない経営者が企業を変えることはできない。
個人的には好きではないが、孫正義氏や三木谷浩史氏も当初、「狂気」があったから企業グループを今のように大きくできたし、イーロン・マスク氏には未だ「狂気」を感じる。
話を戻そう。れいわ新選組の山本太郎氏だ。彼には狂気を感じる。俳優時代の彼は三流で、芸の上でも全く目立たず、記憶にも残らない存在だったが、政治家に転身してからは水を得た魚のようで、選挙ごとに脱皮していった。
スゴイと思うのは自らと自らの党の立場を正確に捉え、正規戦ではなくゲリラ戦で戦っている点だ。この点が現在の社民党と決定的に違う。
重要なのは現状分析だ。これを間違うと戦いに敗れる。孫子の兵法に言う。「彼を知り己を知れば百戦するも危うからず」と。ここで重要なのは「相手を知る(対戦相手の分析)」こと以上に「己を知る」ことである。
対戦相手にたいする情報収集・分析は少しできる人間なら必ず行うし、それが戦いをする場合の必要最低条件だ。ところが「己を知る」のは難しい。ソクラテスは「無知を知れ(知らないということを知れ)」と言って、同時代の哲学者達から猛反発を受けた。平たく言うと「自分はバカだと認めろ」と言ったわけで、言われた方は怒るに決まっている。しかし、まず無知だということを認めることが第1歩で、知識はそこから始まる。
(2)に続く
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