ソクラテスに無知だと言われて怒った人はどうなったか。結局、そう認めざるを得なかったのだ。例えば「飛んでいる矢は飛んでいると同時に止まっている」と言われて、それを認める人は大目に見て半数ぐらいはいるだろうか。これは数学というか視点の問題で、視点(時間軸)をどこに置くかで飛んでいるとも言えるし、止まっているとも言えるということだ。
まあ、それはさて置き、人はどうしても自分に甘くなる。そのため対戦相手を過小評価し、己(自軍)を過大評価しがちだが、孫子はそれを戒めている。
毛沢東は孫子の兵法を踏まえ「戦争論」の中で「戦略的には敵を軽視し、戦術的には重視する」と説き、実際そのように戦った。
少し今風に分かりやすく言い換えるとウクライナのロシアに対する戦い方である。ウクライナとロシアの戦力差は歴然としていた。それ故ロシア側は短期決戦で決着が付くと踏んでいたのだろうし、日本でもウクライナはロシアに降伏するべきだといった元どこぞの市長だか知事だかがいた。
しかし、彼らの事前の目論見、読みは完全に外れた。なぜか。ウクライナは彼我の分析をきちんとし、孫子の兵法、弱者の戦略を取っているからだ。
孫子も毛沢東も戦略的には敵を軽視し、必ず自軍、例えばウクライナは必ず勝利するとした。根拠は侵略者から自国の領土を守るという士気の高さである。
ただ実際の戦闘では圧倒的に勝るロシアの兵力に正規戦で挑んでも負けることが分かっているから、局所で勝つ、あるいは少なくとも負けないゲリラ戦術、弱者の戦術で挑んでいる。ベトナム戦争で南ベトナム解放戦線や北ベトナム軍が取った戦術と同じである。国民の士気は圧倒的に高い。それ故に戦略的には敵を軽視できたのである。
同じことをれいわ新選組の山本太郎が行っている。障がい者支援や福祉を謳う政党は多いが、実際に重度障がい者を選挙に擁立し、当選させ、国会に送り込んだ政党があっただろうか。
立候補の段階までは好意的に受け止めた人でも、実際に議員になり国会に出席する段階になると、国会議員活動ができるのかと訝った人は結構いたのではないだろうか。
あるいは彼らのサポート役として山本太郎が付き添い、実際に国会で質問したりするのは山本太郎で、当選した2人は「名義貸し」みたいな存在になるのではないかと。だが、そうした見方が外れたことはすぐ証明された。まさに「正気の沙汰」ではない。
当初、彼が政界に進出した時は「色物」と見られたに違いない。実のところ私自身「れいわ新選組」という党名を耳にした時、そういう目で見ていた。「維新の次は新選組か」と。
もしかすると軽いノリで始めたのかもしれない。しかし、この男のスゴイところは選挙の度に強くなり、成長して行っているところだ。その点では成長するベンチャー企業の経営者に似ている。畳の上の水練ではなく、水の中で泳ぎを覚え、戦いの中で鍛えられて行っている。
当たらずと雖も遠からずではないかと思っているのは彼が小沢一郎と出会ったことで多くのことを学んだのではないかということだ。小沢一郎はすぐれた政治家だと思うが、彼は大企業、大組織の中で育ち、鍛えられ、大組織を率いる正規戦で力を発揮した政治家であり、ベンチャー企業、小組織に必要な「狂気」に欠けていた。
一時期、山本太郎は小沢一郎と「同居」していた。その時に小沢一郎から大きな影響を受けたのではないだろうか。その後から彼は変わって来たように思える。個人的には小沢・山本はいいコンビだと見ていた。小沢一郎に欠けているものを山本太郎は持っていたから2人が組むことで互いに補完し合え、強い組織になれると。
そうならなかったのは大組織を動かしてきた人間とベンチャー企業を立ち上げた人間の違いで、大組織人には過去の豊富な経験値があるが、ベンチャー企業経営者のような「狂気」に欠けていたことだろう。
それでも両者に互いを補完し合う許容力が、特に大組織出身者の方にあれば力を合わせて強い組織を作れたのだろうが、そうはならなかったのが残念だ。
現在は「狂気」が失われた時代だ。誰も彼もが卒なくこなすことに長け、場の空気を読んだ平均的な意見ばかりを述べる。だからTVはどの局も朝から晩まで同じような内容ばかりを流す。ニュース番組でさえそうだから、視聴者は自分の頭で考えることができなくなっている。大宅壮一氏はそうなることを見抜いていた。TVによって「1億総白痴化」が進むと。
果たして山本太郎の「狂気」は社会を変えるか。社会を変革するだけの「狂気」を山本太郎は持っているだろうか。 (3)に続く
<参照>栗野的視点(No.655):辺境の反撃が社会を変える。
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