日本のエリート層はなぜ道を誤るのか。(2)
エリート官僚が陥る闇


 しかも、あろうことか上司に当たる麻生財務大臣までもが、福田淳一事務次官の否定発言を擁護し、あれは「嵌められたのではないか」という趣旨の発言をしていた。
 麻生氏に関してはかつての首相時代から国語力の弱さを認めているから、上記のような発言をしたとて驚きはしない。言葉を大事にせず、言葉の意味をよく知らずに、それで政治家をやっていられるものだと呆れるばかりだが、構造は福田事務次官も麻生財務相も同じ。権力を笠に着て自分より弱い立場の者に威圧的に迫る態度は人品の卑しささえ感じる。
 麻生氏についてついでに言えば、この人の辞書には「国民に尽くす」という文字はないだろう。あるのは「俺」という一人称文字だけだ。

 福田淳一事務次官の上記発言は、少なくとも私にはどうすればそういう言葉が吐けるのだろうと理解に苦しむが、一つには羞恥心がゼロということだろう。
 では、なぜ羞恥心がないのか。それは自分が特権階級で、自分の命じることはなんでも可能になると思っているからである。
 事実、財務省という組織の中では彼の言うことは絶対で、部下は命じられれば時間、場所に関係なく応えてきたのだろう。だから自分は何を言っても許されると思い込んできたに違いない。
 だが、それは財務省、あるいは霞が関という限られた空間でのことなのだが、その世界しか知らない人間は、その狭い世界の「常識」が外の広い世界でも通用すると思い込むことから起きるのが特徴だ。

 文科省の佐野太局長の場合も同じだ。こちらはセクハラではなく受託収賄容疑。何が受託収賄かといえば東京医科大学が私立大学研究ブランディング事業の対象校に選ばれるように便宜を図った(平たく言えば東京医科大に国から3,500万円の補助金が出る)見返りに、自分の息子を入学させてもらったわけで、金銭の授受ではないが、この行為が受託収賄に当たると疑われた。

 次期事務次官の呼び声が高いエリート官僚が今時珍しい親バカぶりと言えなくもないが、やはりそこにあるのは自分は特別だと考えるエリート特権意識。にわか金持ち(成金)がなんでも金の力で思うようになると考える意識と同じ構造だ。

 余談だが本当の上流階級は3代続いてなる。言い方を変えれば3代続いてやっと上流階級にふさわしい品格が身に付くということらしい。そういう意味では、1代で成り上がった金持ちやエリートに、そのような品格が身についてないのは当然で、そこに精神構造の低年齢化と根拠なき特権意識がプラスされたのが近年のエリート層である。

オウムに走ったエリート達

 エリートと言えば思い出すのがオウム真理教に走り、次々と犯罪に手を染めた者達。彼らの中には現役医師や弁護士、科学者としての道を歩みつつあった者達もいた。それらの仕事に従事する者は客観的事実や証拠、根拠に基づいて思考し、行動するはずで、非科学的な考えとは最も遠い距離にいると思われていた。ましてや「空中浮遊」というトリック写真のようなものに騙され信じ込むとは。
 最近は「超魔術」を操ったり、ガラスの向こうの物だって手を突っ込んで取り出せてみせるマジシャンは1人や2人ではない。彼らの方がよほど「超能力者」に見えるが、医師や弁護士、科学者達がエビデンス(証拠、根拠)の代わりに「超能力」を信じ、稀代の詐欺師を「尊師」と敬い、彼の命ずるままに殺人に手を染めたのだからエリートほど壊れやすく、危険な存在はないかもしれない。
                                           (3)に続く

格安スマホ、SIMをお求めなら「U-MOBILE」
驚きの低価格で高品質な通信サービス「U-MOBILE」


(著作権法に基づき、一切の無断引用・転載を禁止します)

トップページに戻る 栗野的視点INDEXに戻る

ソニーストア

デル株式会社