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即自的自然を対自的自然に(前)
〜 地方活性化の視点(1)


 岡目八目という言葉がある。これは囲碁から出た言葉で、碁を指している本人より、傍で見ている人の方が八手(八目)も先まで読めるということから、当事者より傍で見ている人(第三者)の方が情勢がよく判断できるという意味だ。こうした現象はあらゆるところで見ることができる。例えば地方−−。

定住人口より交流人口増を

 多くの地方が、というより地方はほとんど例外なく高齢化と過疎化の問題に悩んでいる。過疎には人口過疎と産業過疎の2つがあるが、地方はこの2つともに悩んでいる。それに加えて観光資源の過疎もあり、まさに3過疎。「地方は何もない」と泣いているのが実情と言う。
 しかし、果たしてそうだろうか。本当に何もないのか。何もない、と思い込んでいるだけではないのか。もし、そうだとしたら、何もないのではなく、○○があるはず、ということになる。

 では、○○とは何か。
それを考える前に人口過疎について見てみよう。人口の過疎化という場合の人口とは一体何を指しているのだろうか。一般的には定住人口のことである。確かに定住人口は少ないより多い方がいい。だが、定住人口ですべてが決まるわけでも、地方の活力が定住人口だけで決まるわけでもない。大都市を例に上げるまでもなく、昼夜の人口が違う地方は多い。夜間人口(定住人口)より昼間人口が多い地方ほど活力がある。逆に昼間人口より夜間人口が多い地方は活力が小さい。

 つまり定住人口を増やすことより、昼間人口を増やすことを考えた方がいいわけだ。
 昼間人口を増やす方法は少なくとも2つある。1つは産業おこしによりエリア外からの通勤者を増やす方法で、長年この方法が中心に据えられてきたし、いまもあまり変わらない。しかし、少子化時代に加え、縮小均衡経済(という言葉が嫌なら不拡大経済と言い換えてもいいが)時代になると、この方法はもう期待しない方がいいだろう。
 もう1つの方法は交流(移動)人口を増やすことだ。
エリア内に人をいかに呼び込むかということで、代表的なものが「観光」という名称で呼ばれるものである。
 「観光」というと、すぐ「観光名所などな〜んもない。見る所も遊ぶ所も、温泉もない。居るのは爺っ様と婆っ様だけ」と、昔流行った吉幾三の歌のセリフみたいな言葉が返ってきそうだが、本当にそうだろうか。
 たしかに地方にハードは少ない。だからハードを作れ、というのが一昔前の発想で、その結果、いまでは誰も利用しない、エリア内の人達にさえ見向きもされず朽ち果てかけている無用の長物があちこちに鎮座している。ハードに頼ると結局こうなる。
 ハードに頼らずとも、いまある財産を活用すれば交流人口を増やすことは決して不可能ではない。

即自的自然を対自的自然に

 地方には結構素晴らしい財産、宝がある。ただ、地方の人の目にはそれが見えてない、あるいは宝と映らないだけなのだ。岡目八目、外部の目で見れば地方の財産、宝が見えてくるはずである。
 ところで、地方と聞いてまず思い付くのは自然だろう。しかし、ただ「自然がある」だけでは宝ではない。そこにある自然を変えて財産にしなければならない。つまり即自的な自然を対自的な自然に変える必要がある。(ここでは即自、対自という言葉を弁証法の厳密な意味では使用していない。即自的自然=直接的な自然、あるがままの自然、対自的自然=人の意識が介在した自然というような意味合いで使用している)
 雑木林では人を呼べないが、梅林や紅葉樹林にすれば人を呼べるのと同じである。
とはいえ、いまから木を植え、育て、それを目当てに人が集まるようにするには何年もかかる。いまのような時代にそんな悠長なことは言ってられない、と思われるかもしれない。だが、本物を作るには手間暇と時間がかかる。その労を惜しんで、結果だけを得ようとするのはあまりにも虫が良すぎる、と言ってしまっては身も蓋もないので、いくつかの例とヒントを紹介してみよう。

 岡山県笠岡市は夏はひまわり、秋にコスモスを干拓地(道の駅そば)に植え、多くの見物客が集まり、賑わっている。
 兵庫県佐用町南光は休耕田を利用し、夏場にひまわりを植え、やはり多くの観光客が周辺から来ている。
 上記2例は地方、自然をキーワードに集客に成功している例だが、コスモスやひまわりを植えている地方は全国どこでも見かける。だが、この2箇所は観光バスが来るほど有名であり、またよく知られている。
 一体、ほかととどこが違うのか。ひと言で言えばスケールの違いだ。広さと数で他を圧倒しているのである。
 ひまわりやコスモスはどこでも見かける身近な花だけに、そうした素材で集客しようとすれば生半可な数ではダメだ。種類も総数も日本一、西日本一、最低でも中国地方一、九州一ぐらいでなければ。それぐらいの規模になれば広範囲に集客できる。
 林では人は来ないが、うっそうとした森には人は惹かれ、集まってくる。
                                              (後)に続く

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