栗野的視点(No.611) 2018年5月28日
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崩壊するニッポン(5)〜社会に蔓延している、「結果が全て」の風潮
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ついにここまで来たかーーという思いを強くした。「正々堂々」「爽やか」という言葉はスポーツ、なかでもアマチュアスポーツ界を象徴する言葉だった。しかし、今それらは死語となり、過去の歴史の中に葬り去られてしまったようだ。
関西学院大学と日本大学アメリカンフットボール部の試合がそのことを如実に物語っている。勝てば官軍、勝つためには手段を選ばず、という考えがアマスポーツの世界にも広がりを見せているということだ。しかも指導者たる監督やコーチが「相手を潰してこい」と指示したというから驚く。
さらに驚くのは反則プレーした日大選手が主体的に記者会見をして謝罪までしているというのに、日大と同大アメフト部の監督等が記者会見をしたのが同選手の謝罪会見に遅れたること1日の5月23日。
この問題に関して関学大が会見を開いた12日から数えると10日以上遅れてやっと正式会見を開いたわけで、対応の遅さにも驚くが、さらに驚いたのは会見内容。口では「全て監督たる私の責任」と言いながら、「潰してこい」とは言ったが、それは「ケガをさせろ」という意味で言ったわけではない。受け取り方との間に「乖離があった」と言い、ある意味自分達に非はないと開き直ったことだ。
さらに酷かったのが同日の会見司会者。日大広報部職員らしいが、この種の会見では前代未聞の態度だった。そういうところにも、この問題を引き起こした背景が見て取れる、と多くの人が感じたに違いない。
問題がここまで大きくなると日大アメフト部の内田前監督は日大理事の職も辞めざるをえないだろうが、先の会見でも自ら辞任と言わないところがなんとも。
今の時代文字や言葉より映像。語っても語らなくても言葉のトーンや間、表情を映し出し全てを伝えてしまう。
このところスポーツ関係が話題(悪い方で)になる事態が続いているが、アマチュアレスリングのパワハラ問題での大学理事長の会見も酷かった。どうも大学というところは知識も常識も教えるところではなくなったらしい。
柔道、相撲、レスリング、アメフト、いずれの場合も社会と隔絶された閉鎖的で、上下関係の厳しい社会。一般常識とは無縁の別社会を、ある部分、特徴としてきたところもある。
しかし、その社会に変化が起き始めたのはやはりデジタル情報社会の影響が考えられるだろう。「ベルリンの壁」も「竹のカーテン」も「北の空」も空を飛ぶ交う情報が穴を開け、崩れていった。
そして今、スポーツの閉鎖社会がSNS(ソーシャルネットワークサービス)を使ったデジタル情報で風穴を開けられ、壁の中の「内部情報」が一気に外の世界と繋がったが、そのことを理解できないのが旧世代の連中。彼らはいまだに上からの指示(命令)で押さえ込めると思っていたようだ。それが関学大の抗議会見から10日後の、謝罪にならない会見で、より多くの人の怒りを買ってしまったようだ。
それにしてもなぜ、スポーツマンシップと程遠いことがアマチュアスポーツの世界で行われたのか。実のところ、こうしたことが起きる予感は以前からあった。
「参加することに意義がある」と言われたオリンピックでさえ「参加」より「賛歌(結果)」を求められて久しい。しかも、賛歌は国家のメダルの数に置き換えられている。
要は今の世界、「結果が全て」、結果を出すことが求められている。そのことは横綱、稀勢の里への評価の変わり様を見ても分かる。
左胸と左上腕に大怪我を負い、とても相撲など取れる状態ではないのもかかわらず千秋楽に出場し、本割、決定戦と連覇し優勝した時は奇跡と称賛し日本国中が稀勢の里を讃え、稀勢の里フィーバーに湧いた。だが、その怪我が原因で休場が続くと今度は態度を一転させて「引退を」とすら言い出す。そこにあるのは「結果が全て」という考え方であり、相撲界内部のみならず観客の側もその考えに支配されている。
(2)に続く
#日大アメフト部
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