ハウステンボスの失敗に学ばなかったシーガイア
出口を出て目を少し遠くにやると、松林の向こうにシーガイア・リゾートホテルの建物が見えた。今は名前が変わってシェラトン・グランデ・オーシャンリゾート。経営母体はセガサミーホールディングスである。
フェニックス・リゾートはオーシャンドームの建設前後に2、3度取材したことがある。創業者の佐藤棟良氏を取材したかったが、それは叶わなかった。それでも当時の代表取締役副社長、常務取締役などをそれぞれ取材したことがあるから、その後の経営破綻、解体されて見る影もなくなったオーシャンドーム(2007年閉鎖、2017年解体)などを思うと遠い昔のようで(実際そうだが)寂しさを禁じ得ない。
最初の取材時はオーシャンドーム完成直前だった。当時、リクルート九州支社が独自に発行していたトップインタビュー誌の企画・取材・編集を請け負っていたが、先方は学生向けのリクルート社が発行する雑誌だからと、経済誌などとは違うと多少軽く考えていた節があったようだが、取材開始直後に国有林である松林を伐採して建設する意義があるのか、せっかく天然のきれいな海があるのに、その海岸に人工海浜をなぜ造るのかと問うたものだから、先方の顔に驚きの表情が一瞬走ったのを今でも覚えている。
2度目はオーシャンドーム開業直前で、まだ入場料などの価格が決まってない時だった。長崎県ではすでにハウステンボスがオープンしていたが、高い入場料金が地元で不評だったので、その情報を伝え、「料金設定を高くすると失敗すると思いますから、くれぐれも料金は考えてください」と言うと、「決して高い料金設定にはしない。我々にはフェニックスで長年やってきた経験があるから心配ない」と言われた。
だが、いざ蓋を開けると4000円台の入場料。これでは地元の人間は利用できない。地元の人がリピートしない施設が成功するはずがないのに、なぜ、と非常に残念な気持ちだった。
一方のハウステンボスも建設中から数度に渡り取材をしたが、最後に取材した時はオープン数年後ぐらいだったろうか、すでに創業者の神近義邦氏が苦境に立たされていた時だった。
神近氏のオランダの街づくりにこだわった思想は理解していたつもりだし、成功して欲しいと思っていたが、理想を追うあまり建設費が膨れ上がってくると、金融団との間に軋轢が生じてくる。片や本物を再現した街づくりをしたい、片や融資した資金はきちんと回収したい。同床異夢である。ベンチャー企業とベンチャーキャピタルもこれと同じ関係である。
ハウステンボス内の別荘や分譲マンションが売れていないという話はメディアでも取り上げられるようになっていた。神近氏には以前にも取材でお会いしていたということもあり、私もそのことに触れた。
「神近さんの街づくりの考え方はよく分かります。私はハウステンボスに運河を掘っている時から見ていますし、オープン直後のGWには客としても来ています。でも、私が銀行の立場だったらマンションは分譲にこだわらず、賃貸でもリースでもいいから金にしろと言うでしょうね」と申し上げたが、どうやら取材当日の午前中、銀行団を含めた会議があり、同じようなことを指摘されたようだった。別に会議開催の事実も、会議の場で話された内容も知らなかったが、ズバリ的中したようだ。
当時(1993年)のインタビューを再現してみる。
−−分譲を賃貸に切り替えるとか、リース方式のような形に変更するということは考えていませんか。
神近 ワッセナーの1戸建てを賃貸にするとか、小口化するということは考えてない。月に1戸だろうが2戸だろうが売っていくし、値引きはしない。
頑固にコンセプトを守って、クオリティーにこだわりながら徹底してやる。でなければ、私がやる意味がない。
不動産を小口化したり賃貸したり、この中をいじくっていろんなことを安上がりにしようとかするんだったら私じゃない方がいい。私にはできないから。
当時の記事を今読み返してみても、神近氏はかなり追い込まれていたように見える。もしかすると秘かに辞任の意向を固めていたのかもしれない。いや、その覚悟を持って銀行団に迫ったのだろう。「神近以外の誰がやれるのか。やれるならやってみろ」と。
そう、コンセプトは大事だ。当初のコンセプトを変え、いじくって手直しした施設は皆失敗している。いじくるならコンセプトを作り直し、施設を大幅に作り直すことだ。
神近氏の理想、こだわりは私にはよく理解できる。が、資本の論理は冷徹だ。カネがすべてである。「ヴェニスの商人」の時代から貸したカネはきちんと返せ、証文通りに履行するというのが金融関係者の論理で、そこには1分の情けも入り込む余地がない。
それにしてもなぜ、ハウステンボスもシーガイアも同じように失敗したのか。リゾートブームという熱病の影響、計画が途中から加速度的に膨れ上がってきた、景気低迷の影響で集客力が当初見込みより大幅にダウンした、返済計画から逆算すると入場料を高く設定せざるを得なかったetc。
いずれも事実だろうが、罪を被るべきはやはり当事者の広げ過ぎた夢と、かかり過ぎた建設費だろう。
夢は必ず膨れてくる。実現性が高まれば高まるほど夢は膨れていく。その一端にありつこうとする人が増え、彼らが勝手に夢を膨らませていく。走りだすと後戻りができない、前に進むことしかできない乗り物に乗っているようなものだ。
乗っている人たちはお祭り騒ぎにますます浮かれていく。その乗り物にはアクセルしかなく、ブレーキがないことなど誰も気にせず、ひたすらアクセルを踏み続けるから、建設費は当初計画の何倍にも膨れていく。
冷静に考えれば分かることだが、誰もが冷静さを失っているから破綻するまで止まらない。ハウステンボスという前例を目の前にしていても、シーガイアはそれを前轍として後轍の戒めにできなかった。
(4)に続く
|