記憶に御座いません。(1)


栗野的視点(No.724)                   2021年2月2日
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記憶に御座いません。
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 「記憶に御座いません」ーー。政治家がよく使う言葉である。他にも「真意が伝わらなかった」という言葉もある。いずれも、都合の悪いことを聞かれた時に答える常套手段で、「真意」は「答えたくない」「答えるとさらに突かれボロが出る」「マズイことについ本心が出ちゃった」ということだ。

 その言葉をまさか私自身が使うことになろうとは思いもしなかった。これはマズイぞ、という思いと、なんとも情けないという思いが駆け巡り、この先の政治生命、いや人生を考えると暗澹たる気になった。

 「記憶にない」と言うのは政治の場面だけではない。逮捕された後に「酔っ払っていて覚えてない」と言う人がいるが、ニュースなどで見聞きしても、いくら酔っていても覚えてないはずがないだろう、と感じていた。自分がやったことを全く覚えてないということなどあろうはずがない、と。
 ところが、である。そのことを私自身が身を持って知ることになったのだから、なんとも恥ずかしいやら情けないやら。

 私は夕方5時を過ぎると、横にアルコール類を置きキーボードを叩いていることが多い。冬は焼酎のお湯割りか燗をした日本酒、あるいはワインで、夏場はビールか冷酒。
 このところ徳利1本かワイングラス1杯で酔うことが多いので、肝臓のことも考え、少し控えなければと思っていた。ただ、多少アルコールが入った方が筆が進むというか、文章が進むこともあり、ついつい横にグラスか徳利を侍らかすことが多い。まあ、本音を言えば口寂しいだけで、常に何かを口に運んでいたいだけだが。

 というわけで数日前もナッツをツマミに少し呑みながら書いていた。ただこの日はいつもと違ってウィスキーをストレートで呑んでいた。
 普段ウィスキーはほとんど呑まない。だが、この日はなぜか呑みかけのウィスキーを棚から出して小さなグラスに入れた。いつもとは違うものを呑みたい気分だったのかも分からない。
 ところが久し振りにストレートで呑むウィスキーが美味しくて、最初は1杯だけのつもりが、つい2杯、3杯と進んだ。それと並行するように筆も進んだ。

 それから1時間余り。食事の用意ができた、とパートナーに呼ばれたところまでは覚えている。しかし、その後の記憶がない。全くない。
気が付いたら夜中0時を少し回っていた。何度起こしても起きないのだから、と言われた。どうやら横になってTVを見ていたらしいが、そのまま前後不覚の眠りに落ちたようだ。

 翌朝、歯を磨きながら、昨夜は何か食べたのだろうか、と考えたが、食べたものを1つも思い出せない。それどころか食事をした記憶そのものがないのには少々焦った。
 まさか食事もせずに寝たのだろうか。いや、そんなことはあるわけない、と思いつつ、昨夜食べたものを尋ねてみた。
 「本当に何も覚えてないの? 1つぐらいは覚えているでしょ?」と言われたが、いや本当に思い出せない。夕方、スーパーで魚を買い、捌いて刺し身にしてもらったのは覚えているから、夜、刺し身を食べているはずだが、そこまで考えても刺し身はおろか他のおかずも全く思い出せない。
 「あんなに美味しい、美味しい、と言って食べたのに覚えてないの」と呆れられたが、記憶にない。すっぽり記憶から欠け落ちているのだ。

 本当にこういう事があるのだと、その時初めて分かった。政治家の「記憶に御座いません」という詭弁は別にして、酒の呑み過ぎは危険と身を持って知った。仮に一過性であっても、その度に脳細胞が何千個か何万個か死滅していっているわけで、年齢を考えれば脳細胞の再生はまずありえない。脳に灰色の点が増えていっていることを想像すると寒気がしてくる。

 折しも最近観ているのが「記憶」というドラマで、アルツハイマー症を患い、記憶を少しずつなくしていく弁護士役を中井貴一が演じている。
 最近、この手のドラマを観てもフィクション、他人事とは思えない。もし、認知症になったら、と独り密かに怯えている。
 「頭を使っているから認知症には絶対なりませんよ」。そう言って慰めてくれる友人がいるが、頭を使っていれば認知症にならないわけではない。先の弁護士はドラマの話と多少割り引いたとしても、認知症の権威として知られている医師自身が認知症になり、その記録を追ったドキュメンタリーも昨年放映されている。
                                           (2)に続く



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