栗野的視点(No.685) 2020年5月13日
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
「巣籠もり」作戦は本当に正しいのか、事態を打開できるのか。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 「巣籠もり」生活を強いられて、もう数か月になり、「自粛疲れ」の声があちこちで聞かれ出している。その一方で、自治体の長達からは「気の緩みが心配」という声も。
たしかに強大な相手に対して、まず籠城することは一定の効果がある。しかし、籠城戦で勝った戦いはない。その多くは兵糧が尽きたり病人続出で自滅している。籠城戦が効果あるのは短期間だ。長引けば長引くほど戦死者数より餓死者数の方が多くなる。今、その時期に差し掛かろうとしているように思える。
本当に「巣籠もり」作戦は正しいのか。ボタンの掛け違いはなかったのか。データを収集・分析する方向性は正しいのか。そういうことを再度出発点に戻り冷静に見直す必要があるのではないか。
未知との遭遇で人が取る5つの行動
人は未知のモノや予期せぬ出来事に遭遇した時、様々な行動を取るが、概ね段階ごとに次のような行動パターンに分かれる。
1.身構えと様子見
2.右往左往
3.怯えと軽視
4.敵対と協調
5.反転攻勢
人に限らず動物が自分以外のモノに遭遇した時に示す行動はまず身構えて様子を見る行動である。
遭遇した相手との距離にもよるが、すぐ逃げたり、逆に襲いかかるのではなく、その場にとどまり相手を見極めようとする。例えば山中で鹿に遭うと、しばらく睨み合いの状態が続いた経験を持つ人は多いだろう。
相手の出方を窺っているわけだが、これは対象を概念化しようとする行動である。過去の見たことがある対象(物)か、初めて目にする対象(物)か。姿形はどうなのか。武器らしきものを持っているのかいないのか。攻撃しようとしているのか、そうではないのか、と。こうしたことを過去の概念に当てはめ判断する。
その結果、相手が襲って来ないと判断すると、鹿は悠々と移動していくし、こちらが何かを手にして近付こうとする(攻撃の態勢に入る)と、鹿は地を蹴って逃げ出す。
これは概念が当てはまった場合で、今風の言い方をすればデータベースで即座に検索できた場合だが、逆にデータベースにない未知のモノだったり、データベースで完全一致しなかった場合は、さらにその周辺、似たようなものを探すことになる。
この概念化作業をどれほど早く行えるかどうかが、その後を大きく左右することになる。概念が一致(=正体判明)すれば対処はさほど難しくない。過去の対処方法に倣えばいいだけのことだ。
これを今回のCOVID-19に当てはめて考えてみよう。まず最初に中国・武漢で原因不明の症状にかかる人が現れた段階ですべきこと、行われたことは対象の概念化(正体を突き止める)だった。そして、それは程なくコロナウイルスの1種らしいと分類され、名前が「SARS-CoV-2」と付けられた。
この名前からも分かるように2003年に猛威を奮ったSARS(重症急性呼吸器症候群)と似ている、その変異だと判明した(考えた)。つまり全く未知のモノではなく、既存の概念に当てはめることができたわけだ。となると後は過去の対処法を中心に対処すればいいことになる。
ところが、この後がうまくいかなかった。SARSワクチンが開発されてなかったのだ。調べてみると曲がりなりにも動物実験までのステップまでは行っていた。しかし、そこで中断してしまったのだ。理由はよく分からないが、SARSの流行がそれほど広がりを見せなかったり、思いの外早く終息したからかも分からない。
「未知との遭遇」だと思っていたが、未知ではなく既知の相手、ただ少し形を変えていただけでなく、以前にも増して狂暴になっていた。
それを知ると人々は右往左往しだす。慌てて遠くへ逃げ出す者、門を固く閉じ家に閉じ籠もる者、状況を確かめようと対象に近付いていく者、距離を置いて対象を観察する者など、まるで蜂の巣を突いたような、巣を壊された時の蟻の動きのようになる。
程なくすると動きは2つに分かれていく。相手を過大に見、手強いと考え怯える者と、相手の正体は分かったから程なく対応できると楽観視する者に。
2と3の段階は明確に分かれるわけではなく近接しているか、混ざり合って現れるだろう。 (2)に続く
|