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医師の価値観か、それとも歪んだ正義感か。(1)


 昨年8月、公立福生(ふっさ)病院で人工透析を中止し、死亡した女性の問題が今春、各メディアで大きく取り上げられている。最初にこの問題を報じたのは毎日新聞のスクープだったらしいが、以後、各メディアが一斉に報じるに至った。

 このことが大きく報じられたのは人の生命に関することだからだけではない。医師と患者の関係、医療現場が抱えている問題、インフォームドコンセントの問題、高齢化社会と終末医療の問題など様々な問題を内包しているからである。それだけに難しく、微妙で、ややこしい問題でもある。

患者の気持ちは揺れる

 いまさらとは思うが、この問題をあまりご存じない方のために、かいつまんで説明しておこう。
 腎臓病を患い別の診療所で5年間人工透析を続けていた女性(44歳)が、昨年8月、福生病院に来院したところ、担当医師は可能な治療法を説明したほか、人工透析をやめる方法もあると提案した。
 女性は透析治療をやめる方を選び、意思確認書にサインをした。それから7日後に死亡したというのが、簡単な経緯である。

 これだけを見れば覚悟の死で、何が問題なのかと思われるかもしれない。話がややこしいのは、透析中止を選んだ女性に迷いが見え、死亡前に透析中止を撤回する意向を見せたことだ。女性の夫もそのことを医師に伝え、病院側にも透析中止撤回の意向が伝わっていたにもかかわらず、意向が聞き入れられることなく、女性は亡くなっている。

 ここで問題が2つ出てくる。1つは女性の本当の意向は透析中止なのか、それとも透析を希望したのかという問題。
 もう1つは担当医師による女性の意向の受け止め方の問題である。透析をしないという確認書に署名しているから、そちらが本当の意向と受け止めれば、最後の段階で女性が透析を訴えても、それは一時的な迷いと捉え、積極的な治療はしないだろう。
 だが、患者は迷うもので、最後の段階で訴えたことが本当の意向と考えれば、「確認書」に署名はあっても最後の意思表示の方が本当の意向と受け止め、透析を開始するに違いない。そうすれば女性はまだ生きながらえた可能性もある。

 どちらの立場を取るかによってメディアの論調も異なるが、大手メディアは後者の立場を取り、担当医師(外科)の対応に問題ありとの指摘が大半だ。なかには「医師による犯罪」とまで指摘するところもあるが、それも分からぬでもない。

 メディアだけでなく医療関係者の間でも論調は2つに分かれている。福生病院と担当医師の対応は日本透析医学会のガイドラインに沿っていない、終末期医療に対する誤解があるという見解と、「透析中止」という選択肢を示したのは医師として正しいし、批判されるべきではないとする病院・担当医師擁護見解に分かれている。
 ただ医療関係者以外から聞こえてくる擁護意見には多少ヒステリックなものが多く論理性に欠けている部分が見られるのは残念だ。

 もう1つ微妙な影を落としているのが44歳という女性の年齢だろう。もし、亡くなったのが80歳以上の高齢者だったら一般の人の受け止め方も少し違ったかも分からないが、44歳は平均寿命から言ってもまだ若い。打つべき手があったのではないかとは誰しも思うだろう。

 ところで前提となる事実をもう1つ示しておく必要があるだろう。女性は最後の段階で、本当に透析再開を望んだのか。それはどうして分かるのかという点だ。
 それは彼女が夫に出したメールに次のような文面を残していたからである。

「何時来るの? 2018/08/15 11:19」
「何時来るの? 2018/08/15 13:12」
「とうたすかかか 2018/08/16 07:50」

 最初に「とうたすかかか」という文章を見た時は意味が分からなかったが、夫によれば普段から彼女は夫のことを「とう(父)」と呼んでおり、「たすかかか」は「助けて」と書こうとしたが、意識が朦朧とする中、それ以上キーを打てなかったのだろう。「父さん、助けて」という最後のSOSだったわけで、残された遺族の気持ちを思うと言葉が出てこない。

 この文面が残されていたことで、女性は一度は透析中止を選んだものの、本心は透析再開を望んだと考えられる。
 この文面が残されてなく、「妻は透析を再開したいと言っていた」という夫の証言だけでは透析中止の「意思確認書」の方が本人の意向であり、それに従うのが当然という論理が支持されるだろう。
                                          (2)に続く

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