団塊の世代が問題から逃げず、きちんと見つめ、対峙してきたのは彼らがまだ若かった頃のことである。年を重ねるごとに人間は妥協を覚えていく。当時の青年もいま50代後半〜60歳前後。いまでは長いものにすっかり巻かれている。残っているのは過保護に育てられた体質だけかもしれない。
そういいえば50、60は「はな垂れ小僧」と言われる世界もあるが、その世界で自分の思いのままにならないからと、ある日突然、政権を投げ出した男もいた。彼は3世議員。典型的な過保護で母親に頭が上がらなかったのはその筋では有名な話。
まあ、1国の首相ともあろう男がある日突然「もう、やーめた」と政権の座を降りたのだから、誰もがあっけにとられ、まるでだだっ子のようだと思ったのは間違いない。
問題なのは彼のような2世、3世議員が近年、激増していることだ。
では、なぜ政治の世界で世襲が増えているのか。
実は政治家に限らず世襲は過保護と密接な関係がある。
世襲とは親の庇護下で地位を引き継ぐもので、地位を実力で奪い取ることではない。言い換えれば実力があろうとなかろうと、そういうことに関係なく親の地位を引き継げるのが世襲である。
政治の世界なら親の地盤を受け継いでいくし、経済界なら親の経済力(経営力ではない)で2代目、3代目経営者になっていくわけだ。
簒奪(さんだつ)なら実力でその地位を手に入れなければならないが、世襲は親から譲り受けるのだからこれほど楽なものはない。
こういえば2代目、3代目経営者からは「企業経営はそんな楽なものではない」という声が聞こえてきそうだが、所詮は50歩100歩。創業者に比べれば苦労といってもしれている。
政治家は地盤(票田)がありさえすれば安泰なのに対し、経営の場合は会社という器と社員を引き継いでも、舵取りをちょっと間違えれば倒産という憂き目に合うという違うはあるが。
それでも世襲経営が多いということは、子供に苦労はさせたくないという「親心」からなのか、それとも同じことなら楽をして金儲けをしたい(経営者になりたい、ではない)、あるいは世渡りをしたいという甘えた考えからだろう。
そうではなく経営者になりたかったのなら自ら創業すればいいわけで、それをしなかったのだから、あとは言い訳にしかならないだろう。
経営者に比べれば政治家の方がはるかに楽だろう。看板、地盤を最初から受け継いで闘うのだから(政治にかける情熱のあるなしはこの際言わない)。
もし、親の仕事が本当に大変で、理想は素晴らしくても、とても苦労している姿を見て育った子供が親と同じ仕事に就く比率はかなり少ない。
逆にいえば、世襲が多い世界はそういう風には見ていないということだ。
ところで、政治を2世、3世議員の世襲にしていて、本当にいいのか。
すでにこの国のトップには2世議員が3人続いて就いている。
「おかしいではないか」
誰もがそういわない中ではっきり異を唱えたのはかつての首相経験者、中曽根康弘氏だった。
「トゲのある意見を聞きたいね」
いまやこんな言葉はCMの中だけでしか聞かれない。
親の世代がダメなら子の世代がしっかりすべきなのだが、平和な世の中では砂糖のような甘いシュガー世代しか生まれない。
考えるのは楽することばかりだ。また、そうさせているのも親の世代ではあるが。
かといって徴兵制を敷けとか、道徳教育を復活しろというのは変な話で、戦争に行ったこともない人間ほど戦争をしたがるし、道徳と程遠い生活をしている人ほど他人に道徳を説きたがる。
まず自らが襟を正すべきだろう。
さて、近年、気になっている言葉づかいがある。
誰も彼もが「俺」「ぼく」「私」の1人称でしか話さないことだ。
1人称で話す内容は当然身の回りのこと中心。半径1m程度のことである。
自分の興味を引くこと、関心がその範囲だから、当然、目先のことしか考えられない。
皆がこんな風だから社会がどんどん近視眼的になっていく。
かつて「我々」「We」という言葉を使っていた世代も、いつの間にか「私」「Me」しか使わなくなった。
その頃から社会がどんどん狭くなってきた。
幸せになるのは本当に自分一人だけでいいのだろうか。
子供がSOSを発しているのにキャッチせず、仕事に逃げ込んでいていいのだろうか。
2007年から3年たった。
団塊の世代が大挙して1線を退き始めている。
ある人は今後は趣味を楽しんで気楽に生きるといい、ある人はこれからは地域社会の中で自分の経験を生かしていきたいという。
「連帯を求めて孤立を恐れず
力及ばずして倒れることを辞さないが
力尽くさずして挫けることを拒否する」
かつて東大キャンパスにはこんな落書きも書かれていた。
果たして力は尽くしただろうか。
人生まだこれから。余生を楽しむなんて歳ではないだろう。
趣味の世界に生きるのもいいし、どこかリゾート地で日がな1日海を見つめてノンビリ過ごすのもいいだろう。
いままで一生懸命に働いたのだから、誰もあなたの人生に文句は言わない。
しかし、老け込むにはまだ少し早すぎる。
あなたたちの経験や技術・技能を、今度は社会のために役立ててもらいたい。
団塊の世代とそれに続く世代がこの国をダメにしたと言われないためにも。
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